成田氏の
高齢者は
集団自決しろ
発言ですが、
これ、
ナチズムの
ホロコーストと
一緒ですね。
ナチスは
最初から
ユダヤ人を
大量虐殺しようと
していたわけでは
なくて、
領土が拡大するにつれ、
自然と
増大する
拘束された
ユダヤ人を
どう
扱うか、
という問題に
直面したとき、
そうだ、
殺しちゃおう!
っていう
発想に至ったわけです。
その
官僚的発想がヤバい
わけです。
現代の日本が
それと
似たようなことを
システムとして
出来るとは
思いませんが、
選挙権年齢も
引き下げられたことだし、
シルバー民主主義などと
言われますが、
若年層が
もっと
政治を我が事として
捉え、
自分たちの
利益を
代弁してくれる
候補者を
民主主義という
枠のなかで
選べばいいのです。
高齢者に
集団自決を迫る
などという
国際社会に
恥をさらす
くらいなら、
日本はこのまま
財政破綻したほうが
まだ
マシです。
そもそも、
同じ日本国民という
枠内で、
特定の階層の人を
殲滅しようなどというのは、
国家としての
役割を放棄しています。
トマス・ホッブズの
想定した
「自然状態」では、
お互いがお互いを
殺し合うわけですが、
そこでは、
殺し合うもの同士の
戦闘能力は
どうせ
大した個人差が
ない、と
考えられています。
その意味で、
個々人は
”平等”
なのです。
だから、
想定の中の話ではあれ、
そういう
極限状態における
解決法として、
リヴァイアサンに
生存権以外の
一切の
権利を
預けてしまおう、
というのが
ホッブズの出した
答えなわけです。
逆に言えば、
そのような
過酷な状況であっても、
生存権だけは
守られなければならないのです。
それを
国家として
否定する、
などということは、
社会契約論的に考えて、
およそ
国家の存在意義を
否定するものです。
ホッブズ流の
社会契約論に立てば、
死刑判決を
受けた
囚人は、
あらゆる手段を
使って
抵抗・逃走を
試みることが
許されるのです。
なぜなら、
生存権だけは
否定されないからです。
その
生存権すら
否定するような
社会は、
必然的に
「自然状態」に
逆戻りするでしょう。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
コメント
コメントを投稿