世界史の中の中国文明 (再掲)
シルクロードの中国で
南北朝対峙の状況から
隋による統一へと
向かっている過程で、
西方でも
大きな動きが現れる。
東ローマは
ササン朝を
介在させずに、
シルクロードの利権(特に中国商品)
を
掌握するために、
内陸・海洋の
バイパスルートの開拓を企図。
◎内陸ルート→
当時、
突厥は
ササン朝との関係が悪化しており、
東ローマと同盟。
東ローマは、
突厥支配下にあった
遊牧国家ハザール経由での
交易が計画される。
◎海洋ルート→
576年の
ササン朝のホスロー1世
による
イエメン占領によって、
東ローマの
インド洋進出は阻まれる。
西突厥は
588~589年の
第一次ペルシア・突厥戦争
で敗北し、
ササン朝の優位は揺るがず。
⇒しかし、
アラビア半島西岸経由の
バイパスルートは依然として
機能しており、
メッカなどの
商業都市が
交易活動によって台頭し、
イスラーム勃興の呼び水となる。
自分なりのまとめ:
東ローマ帝国は、
西突厥と手を組んで、
ササン朝を経由しない、
中国商品を手に入れるルートを開拓した結果、
アラビア半島のメッカなどの
諸都市が台頭し、
イスラームの勃興に繋がった。
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