2022年11月9日水曜日
「人間の条件」 ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫 より (再掲)
近代の経済学の根本にあるのはこれと同一の画一主義である。 つまり、近代の経済学は、人間は行動するのであって、お互い同士活動するのではないと仮定している。 実際、近代の経済学は社会の勃興と時を同じくして誕生し、その主要な技術的道具である統計学とともに、すぐれて社会の科学となった。 経済学は、近代に至るまで、倫理学と政治学のあまり重要でない一部分であって、人間は他の分野と同様に、経済行動の分野においても活動するという仮定にもとづいていた。 この経済学が科学的性格を帯びるようになったのは、ようやく人間が社会的存在となり、一致して一定の行動パターンに従い、そのため、規則を守らない人たちが非社会的あるいは異常とみなされるようになってからである。(65~66ページ) (中略) しかし、多数を扱う場合に統計学の法則が完全に有効である以上、人口が増大するごとにその有効性が増し、それだけ「逸脱」が激減するのは明らかである。 政治の次元でいうと、このことは、一定の政治体で人口が殖えれば殖えるほど、公的領域を構成するものが、政治的なるものよりは、むしろ社会的なるものに次第に変わってゆくということである。(66ページ) (中略) 行動主義とその「法則」は、不幸にも、有効であり、真実を含んでいる。 人びとが多くなればなるほど、彼らはいっそう行動するように思われ、いっそう非行動に耐えられなくなるように思われるからである。 統計学の面でみれば、このことは偏差がなくなり、標準化が進むことを意味する。 現実においては、偉業は、行動の波を防ぎとめるチャンスをますます失い、出来事は、その重要性、つまり歴史的時間を明らかにする能力を失うだろう。 統計学的な画一性はけっして無害の科学的理想などではない。 社会は型にはまった日常生活の中にどっぷり浸って、社会の存在そのものに固有の科学的外見と仲よく共存しているが、むしろ、統計学的な画一性とは、このような社会の隠れもない政治的理想なのである。(67ページ) (中略) 大衆社会の出現とともに、社会的なるものの領域は、数世紀の発展の後に、大いに拡大された。 そして、今や、社会的領域は、一定の共同体の成員をすべて、平等に、かつ平等の力で、抱擁し、統制するに至っている。 しかも、社会はどんな環境のもとでも均一化する。 だから、現代世界で平等が勝利したというのは、社会が公的領域を征服し、その結果、区別と差異が個人の私的問題になったという事実を政治的、法的に承認したということにすぎない。(64ページ) 「人間の条件」ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫
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