2022年10月12日水曜日

報道と演出

玉川徹さんの発言で、 報道の作成段階で、 演出する側の意図が入る、 みたいな発言して、 それがケシカラン!と ネットで批判が渦巻いているが、 そもそも 報道に完全にバイアスの掛からない あり方って、 根本的に無理だと思うんだけど。 それは、 何を報道するか、報道しないか、の選択の段階で すでに ”演出”は入りこんでいる。 例えば 現在、世界最悪の人道危機が発生しているとされている イエメン内戦にしても、 日本のマスメディアで、 映像として流しているところは ほとんどないだろう。 それは、 映像を撮ってくること自体が危険ということもあるだろうが、 対立構造が、 単純にどっちが悪で、どっちが正義、 という 二元論が成り立ちにくい、という性質も起因しているだろう。 もっと簡単な例で言えば、 イラク戦争で、 サダム・フセインの立像が、 多くの民衆によってなぎ倒され、 蹴飛ばされる映像がよく流されるが、 あれを、ちょっとズームを退いて見ると、 じつはせいぜい百人ぐらいの人数しか集まっていない。 つまり、 ちょっとした映像の撮り方次第で、 ”事実”は一変してしまうのだ。 自然科学ならともかく、 社会科学とは根本的にそういうものだ。 完全に偏向や”演出”から自由な報道など、 原理的に存在しない。

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