安倍の頭の中はわからないが、金融論が根本的にわかってない人が大勢いらっしゃるようだ。
極端に言えば、日銀・政府は、右手で紙幣を刷って、左手に渡してるだけだから、全く問題ない、とか。
高校の政治・経済の授業で、買いオペ、売りオペ、という言葉を教わりませんでしたか?
つまり、買いオペとは、市中に出回っている債券を、日銀が買って、その対価を市中に供給する。(金融緩和)
売りオペは、その逆で、日銀が保有する債券を、市中に売って、その対価を、日銀が吸収することです。(金融引き締め)
つまり、マネーというのは無から生まれるものではなく、ましてや日銀が刷ったから増えるとか、そういう話ではありません。
あくまでも、日銀のバランスシートの裏付けがあります。
バランスシートの裏付けなく、マネーの量が増えたり減ったりすることはありません。
これは、常識です。
では、なぜそんな誤った認識が広まっているかというと、現在の状況では、日銀が、政府の打ち出の小槌と化しているからです。
つまり、政府は国債を発行する、日銀は(一応市場を介して)それをほとんど買い切ってしまう。
そうすると、政府は、国民の現在のツケを後の世代に押し付けることによって、今の政府・国民は痛みを感じずに、資金調達が出来てしまう。
大方の国民は、痛みを感じること無く、超金融緩和の恩恵を受けられるので、ヤバさを感じない。
未来の世代にひたすらツケを押し付けていることすら、自覚がない。
こんなチートな技が、いつまでも続くと考えるのは間違いです。
それと、安倍が、国債の半分は日銀が保有していて、何回でも借り換えられるから大丈夫、というのも、かなりアヤシイ話です。
市場の実態を反映しない、異常な高値で、日銀が半永久的に国債を買ってくれるというのでしょうか?
仮にその意志があったとしても、無理かもしれないですよね?
それに、プライマリーバランスの話をするとネットでは笑われますが、プライマリーバランスが毎年赤字ということは、政府の借金の元金が、毎年増え続けるということです。
日銀がそれをずーっと買い続けなければならないのでしょうか?
それも常識的に考えて無茶な話ですよね?
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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