漱石論の私信(問いかけ)

いま伊藤之雄先生の原敬の生涯の本を読んで、戦前の政党政治について勉強しつつ、その時代精神がなんとなく掴めてきたところなのですが、森本先生との「それから」に関するやりとりを経て、我々は夏目漱石の小説、とりあえずここでは「それから」の自意識論から何を学べばいいのか、と考えたのですが、夏目漱石は、やはり酒井先生が書いておられたように、近代的自己の目醒めと、それへの対処に苦慮していた、という面はあると思われます。具体的な感覚としては、自己と自意識との<距離>が近すぎることから来る苦悩と言いますか、常に己自身の自我を無意識のうちに意識せざるを得ない、というのは、非常に辛いものがあると思われます。それが、「行人」の一郎の狂気にまで繋がっていくように思えます。そう考えた時、漱石にとって<女>とは何なのか?と問うとき、浮かび上がってくるのは、<女>を客体視することによって、その「距離」によって、己自身に絡みつく自意識から逃れようとした、とも考えられるのですが、いかがお考えでしょうか?

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