2022年3月7日月曜日
私信
ところで、「行人」を読んで数ヶ月経ちましたが、行人に記された一郎の躁うつ病的心性が、近代日本知識人に広く共有されたものなのか、というと、少し首肯しかねる部分もあります。
三浦雅士さんが述べるように、一郎(=漱石)が、妻の貞操を信じられずに、弟に敢えて妻の貞操を試させるのは、知識人というより、漱石自身の生い立ちに関係があるように思えますし、西欧に追いつくために始終何かに駆り立てられているような心性というのも、確かにキャッチアップを至上命題とされた当時の日本知識人にとっては広く共有されたものかもしれません。しかし、人間の心理として、自己に過度のキャッチアップを課せば、あのような心性になるのは、現代人も同様なのではないか?とも思われ、むしろ、一郎の「死ぬか、気が狂うか、宗教に入るか」の3択という言明のほうが、日本(的知識人)特有のもののようにも思います。というのは、日本には、資本主義の受容が困難なのではなく、むしろ、どんどん西欧文明が入ってきて、欧化していくけれども、どこかでその歯止めになるようなものがなく、なにか人間として核になるものが喪われてしまっていくような、焦燥感というものが、一郎のセリフから感じ取れるのです。
ただし、「行人」の記述では、躁うつ病的心性に重点が置かれ、「近代」に特有の現象というものが明瞭に記されていないように感じられるのです。
そうすると、我田引水ですが、やはり「それから」の代助(=漱石)が百合の香りの中に自己を全的に放擲し、主客合一のまどろみに回帰するくだりに、「近代」を批判したアドルノとの近親性を看て取る、というのも、ひとつのアプローチとしてありうるのではないか、と思われるのです。
もちろん、これは素人だから言えることですし、漱石の前期三部作と後期三部作の垣根を超える話なので、簡単に言えることではありませんが。
長々と失礼いたしました。
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