結局は民度の問題
おそらく、世の中には、政治というものを余りに単純化して考えている人が、数え切れないくらいいるんだろうな。
そういう人にとっては、自分が直感的に、あるいはまったく無邪気に信じていることが、ストレートに実現されないことが我慢できないんだろう。
政治ってのは、もっと複雑なものなのに、自分が信奉する政治家の主張が通らないと、それはすべて「抵抗勢力」というラベルを貼って、排除すべきだと思っているのだろう。
日本の政治は、「決められない政治」から脱却するために、制度改革がなされてきたが、その結果、首相が、アメリカの大統領制よりも遥かに強い権限を持ってしまって、それが、安倍氏や高市氏のような、内容を伴わない政治的アイコンとして機能してしまった時、彼らに自分が期待する無邪気な政治的願望を投影して、それがストレートに実行されないことが、堪えられないのだろう。
それは、そもそも議論をする、という能力の完全な欠如を意味する。
面と向かっては、一応妥協はするが、ネットという空間に置いては、お仲間がいれば、どんなに政治的にナンセンスな主張でも、自分の政治的願望が実現されなければ気が済まない、という、およそ政治とは程遠い、ある種の、政治的アイコンとの「共犯関係」に陥ってしまうのだろう。
それは、そもそも、自分と違う意見を許容できない、という、つまり議論をするという能力の完全な欠如の露呈を意味している。
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