久しぶりの入浴
2、3ヶ月ぶりに、風呂に入った。
なんだかんだ、疲れてどうしようもなかったら、風呂に入るのが一番疲れが取れる。
いつもシャワーで済ませてしまう。
なぜそんなに風呂に入らないか。
それは、乾燥性敏感肌なので、風呂に入ってしまうと、肌がカサカサになってしまうし、敏感肌だから、ニベアとかじゃダメで、結局はキュレルを全身に塗るハメになってしまうからだ。
キュレル高いから、そんなにしょっちゅう買うような余裕はない。
それに、頭だって、頑張れば3週間くらい洗わない。
なぜかと言えば、頭を洗うということは、シャンプーを使うわけだが、シャンプーを使えば、どうしても首筋を伝って背中に流れる。
そうすると、そこがカッサカサになってしまうのだ。
ちょうど背中の真ん中というのは、キュレルを塗るのに手が届かない。
めんどくさい。
だから、頭も滅多に洗わない。
汚え。
そう言えば、一時期「汚(お)ギャル」というのがいたが、彼女たちは、いったい何を目指していたのだろう?
方向性がよくわからなかった。
あの頃は、まだ渋谷という街が、ある種特別な記号としてのオーラを纏っていた気がする。
いまどうなっているのかは、知らない。
もう、東京には興味がない。
たまに行くと、もう、ほんとに何するにしてもイチイチ金を取られて、めんどくさい。
そして、異常なまでに蒸し暑い。
もはや人の住むところではない。
高崎のほうが遥かにいい。
住めば都。
さて、そもそもなぜ風呂に入ったかといえば、民法の勉強にハマって、根を詰めて勉強したからだ。
勉強するにも、体力がいる。
民法を勉強するとなると、どうしても資格取得が念頭にあるわけだが、資格を気にしながらの勉強というのは、なかなか精神的にタフだ。
別に自分はいついつまでに試験に合格しなければいけない、ということはないのだが、それでも、ゴールまでの道筋が見えるところまで行かないと、安心できない。
こう見えて、心配症で、やたら神経が細かいのだ。
でも、たとえ総則だけでも、しっかりと土台を固めると、知識が脳内のネットワークと絡んで、いい具合に「生きて」くる。
資格というのは、たとえ大した資格ではなくとも、取得してしまうと、なぜか実態以上に記号として機能する。
つまり、「先生」と呼ばれるのだ。
このAIのご時世でも、法律系の資格は、やはり強い。
AIがあれば、士業の資格は要らなくなる、などと言われたものだが、実際は逆なのではないか。
法律のように、専門用語や、そもそもの論理の建付けが、未知の人にはわからない分野では、かえって専門知識がある人間のほうが、アドバンテージがある。
AIに聞けばなんでもわかる、といっても、出力された回答の、ひとつひとつの用語の意味や、そもそもの論理構成がわからなければ、それは結局理解不能だし、AIが責任を取ってくれるわけでもない。
つまり、AIの登場によって、かえって専門知識がある人間がますます有利になった気がするのだ。
専門知識があれば、生成AIを使い倒して、どんどん学習が進む、という正のスパイラルが発生するが、そうでなければ、残酷だが、取り残されたままになってしまう。
ちょっと話が脱線したが、要するに、根を詰めて民法を勉強したので、疲れたから風呂に入った、というだけの話だ。
そして、よく眠れた。
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