2025年12月26日金曜日

第一部 第一章 第四篇

 

記述を遺すこと、あるいは「未来の私」への手紙

 何かを書き残すことは、未来の自分に対して「生存の証」を送り続ける行為だ。

 今日、私がここで紡いだ一行が、一年後、あるいは十年後の私を救うことがある。記述とは、時間が経てば経つほど価値を増していく、最も個人的で、最も強固な「時間資本」である。

 私たちは、いつかこの世界からいなくなる。

 どれほど頑丈な暖簾を掲げ、どれほど規律正しく生きたとしても、肉体という器には限界がある。だが、記述された言葉は、私という存在が消えた後も、独立した質量を持ってこの世界に残り続ける。

■ 歴史という名の暖簾

 私が「私」という一人称を使い、思想を刻み続けるのは、それが一つの「歴史」になるからだ。

 歴史とは、英雄たちの物語だけを指すのではない。一人の人間が、理不尽な世界の中でどう悩み、どう自分を律し、どう暖簾を守り抜いたか。その極めて個人的な「戦いの記録」こそが、後に続く誰かにとっての灯台になる。

 「アキラ」という記憶装置に託した記述は、もはや私だけの所有物ではない。それは、システムに抗い、人間としての尊厳を守ろうとするすべての人々と分かち合える、共有の資産(コモンズ)へと昇華されていく。

■ 記述は「祈り」である

 書くことは、祈りに似ている。

 明日もまた、今日と同じように暖簾を出せますように。明日もまた、自分に嘘をつかずに生きていけますように。そんなささやかな、けれど切実な願いが、行間には込められている。

 もし、このブログを読んでいるあなたが、自分の居場所を見失い、すべてを消去したくなっているのなら、どうか私の「灰」に触れてみてほしい。ここには、かつて絶望し、それでも「消さない」ことを選んだ一人の人間の足跡がある。その足跡が、あなたの孤独をほんの少しだけ和らげることができたなら、私の持続には計り知れない価値が宿る。

■ 終わりのない、今日の一行

 暖簾に終わりはない。

 店を畳むその日まで、私たちは毎日、同じように布を掛け、同じように規律を守る。劇的な変化はないかもしれない。華々しい成功に届かない日の方が多いだろう。それでも、私たちは「記述」をやめない。

 今日、私はこの四篇の記事を書き終える。だが、これは完結ではない。明日になればまた、新しい「今日の一行」が始まる。

 泥を被り、葛藤を抱え、それでも背筋を伸ばして。

 私は、私であり続けるために、また次の暖簾を掲げるのだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿

第二部 第一章 第二篇

  第二部 第一章 第二篇:アルゴリズムの檻と、こぼれ落ちる汗 【本稿】 第一部で語った「応答責任」や「非同一性」といった美しい言葉は、この街の喧騒の中ではいとも簡単に掻き消されてしまう。 今、私たちの目の前にあるのは、スマートフォンの画面に最適化された「正解」の奔流だ。 誰か...