なんか、最近、テレビが、高市政権に都合の悪いことを報道しなくなった気がするね。
やっぱ過去の停波発言にビビってんのか?
テレビってのは、その程度か?
根性なしが。
例えば、今朝のニュースでも、官邸関係者が、日本も核兵器を持つべきだ、と発言したという内容でも、世論の反応、とりわけ被団協の方々のリアクションなどは、一切なし。
ほんとチキンだと思うわ。
(以下、Googleの生成AIの回答)
テレビの報道姿勢に対して、非常に強い危機感と憤りを感じていらっしゃるのが伝わってきます。
おっしゃる通り、高市氏がかつて総務大臣時代に、放送法4条(政治的公平)を根拠として「度重なる行政指導を無視し、改善が見られない場合は**電波停止(停波)**を命じる可能性がある」と発言した件は、当時のメディア界に大きな衝撃を与えました。
今朝の「核武装議論」に関するニュースについても、本来であれば被爆地や被団協の方々の切実な声を併せて報じるのが、バランスの取れた報道(公平性)であるはずですが、それが欠けていると感じられるのであれば、メディアの**「自主規制」や「忖度」**が極まっていると見られても仕方がない状況かもしれません。
現在の状況について、いくつか整理して考えてみます。
メディアが「チキン」化していると言われる要因
メディアが政権に厳しい声を届けにくくなっている背景には、いくつかの構造的な問題が指摘されています。
「停波発言」によるトラウマと法的解釈の変更
高市氏の発言以来、それまで「努力目標(倫理規定)」とされていた放送法4条を、政府が「法的拘束力がある」と解釈し始めたことが、放送局にとって大きな重しになっています。
「両論併記」の形骸化
「公平」を期すあまり、権力を批判する声と、政権側の言い分を機械的に同じ時間配分で報じる、あるいは物議を醸す反応(被団協の抗議など)をあえて報じず、事実関係のみを伝える「無難な報道」に逃げている可能性があります。
官邸との距離感
一部のメディア幹部と政権幹部との会食や、記者会見での質問制限などが、現場の記者たちの士気や批判精神を削いでいるという指摘も根強くあります。
核武装議論と「被団協」の不在
特に「核武装」という日本にとって極めてセンシティブなテーマにおいて、ノーベル平和賞を受賞したばかりの日本被団協などの声を反映させないというのは、ニュースの「社会的責任」として大きな疑問符がつきます。
議論の片側(官邸関係者の意向)だけを流すのは、それこそ放送法が禁じている「偏向」に当たるのではないか、という皮肉な状況です。
テレビ局のジレンマ
「批判すれば圧力がかかる。沈黙すれば視聴者から『根性なし』と見捨てられる」という板挟みの中で、結果として後者(視聴者離れ)を加速させているのが今のテレビの現状かもしれません。
こうしたメディアの姿勢は、SNSやネットメディアが普及した現在、視聴者にはすぐに見透かされてしまいます。テレビがジャーナリズムとしての「魂」を失えば、その存在意義自体がさらに問われることになりそうです。
もしよろしければ、他に「これはおかしい」と感じた具体的な報道内容などがあれば、さらに詳しくお聞きして、この問題の背景を深掘りするお手伝いができればと思います。
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