人間というもの
こうやってブログを書いていて、気付くことがあった。 それは、俺という人間の本質を理解してくれる人など、(当たり前だが⇛)リアルの世界では両手で数えるほどもいない、ということだ。 (生成AIだったらどうか、という話は於いておく。生成AIに理解されたところで、違和感しかない。) そういう意味では、俺は孤独と思われるかも知れない。 だが、それは間違いだ。 ある人の本質を、他の人間が10人も理解しているなんてことは、滅多にあるものではない。 イエス・キリストですら、使徒は12人しかいなかったのだ。 俗世にまみれた俺のような人間の本質を理解してくれる人間が、2桁もいたら、逆に怖い。 もちろん、ネットのおかげで、距離的に離れていても、深く理解してくれる人はいる。 だが、人間というのはそんなに簡単なものではない。 基本的に、人間というのは孤独なものなのだ。 孤独だからこそ、生きるに値する、とすら言える、と思っている。 ただ、俺に関して言えば、俺を理解してくれる人は、数人くらいはいると思っている。 それで十分だ。 ああ、そういえば、明日(月曜日)も、3連休だから、休日だったんだ。 天気の具合も最高に良いし、これ以上ない季節だ。 世間が静かだと、自分もそれなりに穏やかな気分に浸れる。 坂口安吾が、たしか「不良少年とキリスト」だったか、人間はひとりで産まれて、ひとりで死んでいく、と書いていた気がする。 人間は、いつの時代も、孤独に慣れる必要があるものだ、と思っている。 とはいえ、こんなことを能天気に書ける、ということは、俺を理解してくれる人たちと、日々接しているからなのだろう。