2024年9月21日土曜日
「世界の共同主観的存在構造」 廣松渉 岩波文庫 (再掲)
われわれは、現に、
時計の音を「カチカチ」と聞き、
鶏の啼く声を
「コケコッコー」と聞く。
英語の知識をもたぬ者が、
それを
「チックタック」とか
「コッカドゥドゥルドゥー」とか
聞きとるということは
殆んど不可能であろう。
この
一事を以ってしても判る通り、
音の聞こえかたといった
次元においてすら、
所与を
etwasとして
意識する仕方が
共同主観化されており、
この
共同主観化された
etwas以外の相で
所与を意識するということは、
殆んど、
不可能なほどになっているのが
実態である。
(59ページ)
しかるに、
このetwasは、
しばしば、
”物象化”
されて意識される。
われわれ自身、
先には、
このものの
”肉化”
を
云々することによって、
物象化的意識に
半ば迎合したのであったが、
この
「形式」
を純粋に
取出そうと試みるとき、
かの
「イデアール」な
存在性格を呈し、
”経験的認識”
に対する
プリオリテートを要求する。
このため、
当の
etwasは
「本質直感」
といった
特別な
直感の対象として
思念されたり、
純粋な知性によって
認識される
形而上学的な実在として
思念されたりすることになる。
(67ページ)
第三に、
この音は
「カチカチ」
と聞こえるが、
チックタックetc.ならざる
この聞こえかたは、
一定の
文化的環境のなかで、
他人たちとの言語的交通を
経験することによって
確立したものである。
それゆえ、
現在共存する
他人というわけではないにせよ、
ともあれ
文化的環境、
他人たちによっても
この音は規制される。
(いま時計が
人工の所産だという点は措くが、
この他人たちは
言語的交通という聯関で
問題になるのであり、
彼らの
生理的過程や
”意識”
が介入する!)
この限りでは、
音は、
文化的環境、
他人たちにも
”属する”
と云う方が至当である。
(70ページ)
一般には、
同一の語彙で表される対象
(ないし観念)群は、
わけても
”概念語”
の場合、
同一の性質をもつと
思念されている。
この一対一的な対応性は、
しかも、
単なる並行現象ではなく、
同一の性質をもつ
(原因)
が故に
同一の語彙で表現される
(結果)
という
因果的な関係で
考えられている。
しかしながら、
実際には、むしろ
それと逆ではないであろうか?
共同主観的に
同一の語彙で呼ばれること
(原因)
から、
同一の性質をもつ
筈だという思念マイヌング
(結果)
が生じているのではないのか?
(109ページ)
第二段は、
共同主観的な価値意識、
そしてそれの
”物象化”
ということが、
一体いかにして成立するか?
この問題の解明に懸る。
因みに、
貨幣のもつ価値(経済価値)は、
人びとが
共同主観的に
一致して
それに価値を認めることにおいて
存立するのだ、
と
言ってみたところで
(これは
われわれの第一段落の
議論に類するわけだが)、
このこと
それ自体が
いかに真実であるにせよ、
まだ何事をも説明したことにはならない。
問題は、
当の価値の内実を
究明してみせることであり、
また、
何故
如何にして
そのような
共同主観的な一致が
成立するかを
説明してみせることである。
この
第二段の作業課題は、
個々の価値形象について、
歴史的・具体的に、実証的に
試みる必要がある。
(164~165ページ)
(以下熊野純彦氏による解説より)
『資本論』のマルクスは、
「抽象的人間労働」
などというものが
この地上の
どこにも存在しないことを
知っている。
存在しないものが
ゼリーのように
「凝結」
して
価値を形成するはずがないことも
知っていた。
要するに
『資本論』
のマルクスは
もはや
疎外論者では
すこしもないのだ、
と廣松はみる。
労働生産物は
交換の内部において
はじめて価値となる。
とすれば、
交換という
社会的関係そのものにこそ
商品の
フェティシズムの秘密があることになるだろう。
関係が、
謎の背後にある。
つまり、
関係がものとして
あらわれてしまうところに
謎を解くカギがある。
商品の
「価値性格」が
ただ
「他の商品にたいする
固有の関係をつうじて」
あらわれることに
注目しなければならない。
商品として交換されること
それ自体によって、
「労働の社会的性格」が
「労働生産物そのものの対象的性格」
としてあらわれ、
つまりは
「社会的な関係」、
ひととひとのあいだの関係が
「物と物との関係」としてあらわれる
(『資本論』第1巻)。
ものは
<他者との関係>
において、
したがって
人間と人間との関係にあって
価値をもち、
商品となる。
(533~534ページ)
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