2024年9月21日土曜日
ジョン・デューイの政治思想 (再掲)
貨幣文化の出現は
伝統的な個人主義が
人々の行動のエトスとして
機能しえなくなっていることを
意味した。
「かつて諸個人をとらえ、
彼らに
人生観の支え、方向、そして
統一を
与えた
忠誠心がまったく消失した。
その結果、
諸個人は混乱し、
当惑している」。
デューイは
このように個人が
「かつて
是認されていた
社会的諸価値から
切り離されることによって、
自己を喪失している」
状態を
「個性の喪失」と呼び、
そこに
貨幣文化の
深刻な問題を見出した。
個性は
金儲けの競争において
勝ち抜く能力に引きつけられて
考えられるようになり、
「物質主義、
そして
拝金主義や享楽主義」
の価値体系と行動様式が
瀰漫してきた。
その結果、
個性の
本来的なあり方が
歪められるようになったのである。
「個性の安定と
統合は
明確な
社会的諸関係や
公然と是認された
機能遂行によって
作り出される」。
しかし、
貨幣文化は
個性の
本来的なあり方に含まれる
このような
他者との交流や連帯、
あるいは
社会との繋がりの側面を
希薄させる。
というのは
人々が
金儲けのため
他人との競争に
駆り立てられるからである。
その結果
彼らは
内面的にバラバラの孤立感、
そして
焦燥感や空虚感に
陥る
傾向が
生じてくる。
だが、
外面的には、
その心理的な不安感の代償を
求めるかのように
生活様式における
画一化、量化、機械化の傾向が
顕著になる。
利潤獲得をめざす
大企業体制による
大量生産と大量流通が
これらを刺激し、
支えるという
客観的条件も存在する。
個性の喪失とは
このような
二つの側面を併せ持っており、
そこには
人々の多様な生活が
それぞれに
固有の意味や質を
持っているとする
考え方が後退してゆく
傾向が
見いだされるのである。
かくして
デューイは、
「信念の確固たる対象がなく、
行動の是認された目標が
見失われている時代は
歴史上
これまでなかったと言えるであろう」
と述べて、
貨幣文化における
意味喪失状況の深刻さを
指摘している。
(「ジョン・デューイの政治思想」小西中和著 北樹出版 p.243~244)
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