2024年9月7日土曜日
妄想卒論その7 (再掲)
「ウォール街を占拠せよ」
を
合言葉に
米国で
反格差のデモが広がったのは
2011年。
怒りが新興国に伝播し、
米国では
富の集中がさらに進んだ。
米国の
所得10%の人々が得た
所得は
21年に全体の46%に達した。
40年で11ポイント高まり、
並んだのが
1920年前後。
そのころ吹き荒れた
革命運動の恐怖は
今も
資本家の脳裏に焼き付く。
私有財産を奪う
究極の反格差運動ともいえる共産主義。
17年の
ロシア革命の2年後に
国際的な労働者組織である
第3インターナショナルが誕生し、
反資本主義の機運が
世界で勢いを増した。
19世紀のグローバリゼーションは
当時のロシアにも
急速な
経済成長をもたらした。
しかし
人口の大半を占める
農民や労働者に恩恵はとどかず、
格差のひずみが生じる。
さらに
日露戦争や第一次世界大戦で困窮した。
1917年、レーニンが率いる群衆が蜂起。
内戦を経て
22年にソ連が建国されると、
富の集中度は
20%強まで下がった。
1921年には
「半封建、半植民地」
脱却を
掲げる
中国共産党が発足。
スペインやフランス、日本でも
20年代に共産党が結党した。
そして現代。
怒りの
受け皿になっているのが
ポピュリズムだ。
21世紀の世界も
分断をあおる
ポピュリズムに脅かされている。
米国のトランプ前大統領や
ハンガリーのオルバン首相は
国際協調に
背を向ける姿勢で
世論の支持を集める。
なぜ
人々は
刹那的な主張と政策に
なびくのか。
世界価値観調査で
「他者(周囲)を信頼できるか」
の問いに
北欧諸国は
6〜7割がイエスと答えた。
北欧より
富が偏る
米国や日本で
イエスは4割を切る。
(以下 「遊びの社会学」井上俊 世界思想社より)
私たちはしばしば、
合理的判断によって
ではなく、
直観や好き嫌いによって
信・不信を決める。
だが、
信用とは
本来そうしたものではないのか。
客観的ないし
合理的な
裏づけをこえて
存在しうるところに、
信用の信用たるゆえんがある。
そして
信用が
そのようなものであるかぎり、
信用には
常に
リスクがともなう。
信じるからこそ裏切られ、
信じるからこそ欺かれる。
それゆえ、
裏切りや詐欺の存在は、
ある意味で、
私たちが
人を信じる能力を
もっていることの証明である。
(略) しかしむろん、
欺かれ裏切られる側からいえば、
信用にともなう
リスクは
できるだけ少ないほうが
望ましい。
とくに、
資本主義が発達して、
血縁や地縁のきずなに結ばれた
共同体がくずれ、
広い世界で
見知らぬ人びとと
接触し関係をとり結ぶ機会が
増えてくると、
リスクはますます大きくなるので、
リスク軽減の必要性が高まる。
そこで、
一方では〈契約〉というものが発達し、
他方では
信用の〈合理化〉が進む。
(略) リスク軽減の
もうひとつの方向は、
信用の〈合理化〉としてあらわれる。
信用の合理化とは、
直観とか好悪の感情といった
主観的・非合理的なものに頼らず、
より
客観的・合理的な
基準で
信用を測ろうとする傾向のことである。
こうして、
財産や社会的地位という
基準が
重視されるようになる。
つまり、
個人的基準から社会的基準へと
重点が
移動するのである。
信用は、
個人の人格に
かかわるものというより、
その人の
所有物や社会的属性に
かかわるものとなり、
そのかぎりにおいて
合理化され客観化される。
(略) しかし、
資本主義の高度化にともなって
信用経済が発展し、
〈キャッシュレス時代〉
などという
キャッチフレーズが普及する
世の中になってくると、
とくに
経済生活の領域で、
信用を
合理的・客観的に
計測する
必要性は
ますます高まってくる。
その結果、
信用の〈合理化〉はさらに進み、
さまざまの指標を組み合わせて
信用を
量的に算定する方式が発達する。
と同時に、
そのようにして
算定された
〈信用〉
こそが、
まさしく
その人の信用に
ほかならないのだという
一種の逆転がおこる。
p.90~93
「エリートに対する
人々の違和感の広がり、
すなわち
エリートと大衆の
『断絶』こそが、
ポピュリズム政党の出現と
その躍進を可能とする。
ポピュリズム政党は、
既成政治を
既得権にまみれた
一部の人々の
占有物として描き、
これに
『特権』
と
無縁の市民を対置し、
その声を代表する
存在として
自らを提示するからである。」
(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)
「二十世紀末以降
進んできた、
産業構造の
転換と経済のグローバル化は、
一方では
多国籍企業やIT企業、金融サービス業などの
発展を促し、
グローバル都市に
大企業や
高所得者が
集中する結果をもたらした。
他方で
経済のサービス化、ソフト化は、
規制緩和政策とあいまって
『柔軟な労働力』
としての
パートタイム労働や
派遣労働などの
不安定雇用を増大させており、
低成長時代における
長期失業者の出現とあわせ、
『新しい下層階級』
(野田昇吾)
を
生み出している。」
(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)
富が集中するほど
他者への信頼が下がり、
「フェアネス(公正さ)指数」
(日経新聞作成)
が低くなる。
同時に
ポピュリズムの
場当たり政策に
翻弄されやすくなる。
「国際都市ロンドンに集う
グローバル・エリートの対極に位置し、
主要政党や労組から
『置き去り』
にされた人々と、
アメリカの
東海岸や西海岸の都市部に
本拠を置く
政治経済エリートや
有力メディアから、
突き放された人々。
労働党や民主党といった、
労働者保護を重視する
はずの政党が
グローバル化や
ヨーロッパ統合の
推進者と化し、
既成政党への失望が
広がるなかで、
既存の政治を
正面から批判し、
自国優先を打ち出して
EUやTPP,NAFTAなど
国際的な枠組みを否定する
急進的な主張が、
強く支持されたといえる。」
(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)
人々の不満を
あおるだけで解を示せないのがポピュリズム。
不満のはけ口を
外に求めた愚かさは
ナチスドイツの例を
振り返っても明らかだ。
第二次大戦を教訓として、 ブロック経済が日独伊の枢軸国を侵略戦争に駆り立てた、 という反省のもとに、 GATT-IMF体制、いわゆるブレトンウッズ体制が確立された。 第四次中東戦争がきっかけとなり、 第一次石油危機が起こると、 中東産油国が石油利権を掌握し、 莫大な富を得るようになる。 そのオイル・マネーの運用先として、 南米へ投資資金が流入するが、 うまくいかず、 債務危機を引き起こした。 しかし、 債務危機が世界へ波及するのを防ぐために、 国際金融の最後の貸し手としてのIMFによる、 厳しい条件つきの再建策を受け入れる 状況がうまれたが、 これは、 国家主権を侵害しかねないものであり、 反発から、 南米では ポピュリズム政治がはびこるようになった。 自由貿易体制を標榜するアメリカも、 固定相場制により、 相対的にドル高基調になり、 日欧の輸出産品の輸入量が増大したことにより、 ゴールドが流出し、 金ドル兌換制を維持できなくなり、 ニクソンショックにより、 変動相場制へ移行した。 また、この背後には、アメリカが掲げた 「偉大な社会」政策による、高福祉社会の負担や、ベトナム戦争による、国力の低下も起因していた。 日米関係に眼を転じると、 日本からの輸出が貿易摩擦を引き起こし、 自由主義経済の盟主としてのアメリカは、 自主的に日本に輸出規制させるために、 日本は安全保障をアメリカに依存していることをテコにして、 日本国内の商慣行の改変、 たとえば中小企業保護のための大規模商業施設規制の撤廃など、 アメリカに有利な条件に改め、ネオリベラリズム的政策を受け入れさせた。 その一方、 日本企業は、アメリカに直接投資することで、 アメリカに雇用を生み出しつつ、アメリカの需要に応えた。 その後、更に国際分業が進展すると、 知識集約型産業は先進国に、 労働集約型の産業は発展途上国に、 という役割分担が生まれ、 グローバルサプライチェーンが確立されるなか、 国際的な経済格差が生まれた。 一方、 先進国でも、 工場を海外移転する傾向が強まる中、 産業の空洞化が進展し、 国力の衰退を招くケースも見られた。 経済の相互依存が進展し、 「グローバル化」という状況が深化すると、 アメリカのような先進国においても、 グローバル主義経済に対抗する 右派的ポピュリズム政治が台頭するようになった。 (放送大学「現代の国際政治」第5回よりまとめ)
グローバリゼーションによって、世界の富の大きさは拡大したが、分配に著しい偏りが生じたことは、論を俟たない。 日本においても、新自由主義的な政策の結果、正規、非正規の格差など、目に見えて格差が生じている。
1990年代以降、企業のグローバル展開が加速していくのに合わせて、国内では非正規雇用への切り替えや賃金の削減など、生産コスト抑制が強まりました。大企業はグローバル展開と国内での労働条件引き下げにより、利潤を増加させてきたのです。しかし、その増加した利潤は再びグローバル投資(国内外のM&Aを含む)に振り向けられます。そして、グローバル競争を背景にした規制緩和によって、M&Aが増加していきますが、これによって株主配分に重点を置いた利益処分が強まり、所得格差の拡大が生じています。また、国内の生産コスト抑制により、内需が縮小していきますが、これは企業に対してさらなるグローバル展開へと駆り立てます。 このように、現代日本経済は国内経済の衰退とグローバル企業の利潤拡大を生み出していく構造になっているのです。1990年代以降、景気拡大や企業収益の増大にも関わらず、賃金の上昇や労働条件の改善につながらないという問題を冒頭で指摘しましたが、このような日本経済の構造に要因があるのです。 新版図説「経済の論点」旬報社 p.129より
そのような中で、
経済的に恵まれない層は、
ワーキングプアとも言われる状況のなかで、
自らの
アイデンティティーを脅かされる環境に置かれている。
エーリッヒ・フロムの論考を参考にして
考えれば、
旧来の中間層が、
自分たちより
下に見ていた貧困層と同じ境遇に
置かれるのは屈辱であるし、
生活も苦しくなってくると、
ドイツの場合は、
プロテスタンティズムのマゾ的心性が、
ナチズムの
サディスティックな
プロパガンダとの親和性により、
まるで
サド=マゾ関係を結んだ結果、
強力な
全体主義社会が生まれた。
日本ではどうだろうか?
過剰な同調圧力が
日本人の間には
存在することは、
ほぼ共通認識だが、
それは、安倍のような強力な
リーダーシップへの隷従や、
そうでなければ、
社会から強要される
画一性への服従となって、
負のエネルギーが現れる。
そこで追究されるのが、
特に民族としての
「本来性」という側面だ。
本来性という隠語は、現代生活の疎外を否定するというよりはむしろ、この疎外のいっそう狡猾な現われにほかならないのである。(「アドルノ」岩波現代文庫 73ページ)
グローバリゼーションが
後期資本主義における
物象化という側面を
持っているとすれば、
グローバリゼーションによる
均質化、画一化が
進行するにつれ、
反動として
民族の本来性といった
民族主義的、右翼的、排外主義的な
傾向が現れるのは、
日本に限ったことでは
ないのかもしれない。
むしろ、
アドルノの言明を素直に読めば、
資本主義が
高度に発展して、
物象化が進み、
疎外が深刻になるほど、
本来性というものを
追求するのは
不可避の傾向だ、とさえ言える。
さらには、
資本主義社会が浸透し、
人間が、
計量的理性の画一性に
さらされるほど、
人々は、
自分と他人とは違う、
というアイデンティティーを、
理性を超えた領域に
求めるようになる。
社会全体が体系化され、
諸個人が
事実上
その
関数に貶めれられるように
なればなるほど、
それだけ
人間そのものが
精神のおかげで
創造的なものの属性である
絶対的支配なるものを
ともなった原理として
高められることに、
慰めを
もとめるようになるのである。
(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ)
「それだけ
人間そのものが
精神のおかげで
創造的なものの
属性である
絶対的支配なるものを
ともなった原理として
高められることに、
慰めを
もとめるようになるのである」
という言葉が
何を表しているか、
自分の考えでは、
「社会全体が体系化され、
諸個人が
事実上
その関数に
貶めれられるように
なればなるほど」、
(疑似)宗教のように、
この世の全体を
精神的な色彩で説明し、
現実生活では
一個の歯車でしかない自分が、
それとは
独立した
精神世界のヒエラルキーに
組み込まれ、
そのヒエラルキーの階層を
登っていくことに、
救いを感じるようになる、
という感覚だろうか。
「デモクラシーという
品のよいパーティに出現した、
ポピュリズムという泥酔客。
パーティ客の多くは、
この泥酔客を
歓迎しないだろう。
ましてや
手を取って、
ディナーへと導こうとは
しないだろう。
しかし
ポピュリズムの出現を通じて、
現代のデモクラシーというパーティは、
その
抱える本質的な矛盾を
あらわにした
とはいえないだろうか。
そして
困ったような表情を浮かべつつも、
内心では
泥酔客の重大な指摘に
密かにうなづいている客は、
実は多いのではないか。」
(「ポピュリズムとは何か」中公新書より)
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