現代のグローバル資本主義の構造的問題は、
世界的なカネ余り状態である。
まず、1960年代に、
企業の海外進出に伴い、
銀行が国際展開を
急激に拡大したことにより、
どこからも規制を受けない
「ユーロ市場」
が登場した。
次に、1970年代に、
オイル・ショックによる
オイルマネーの流入と
金融技術革新により、
米国の銀行による
「ユーロ・バンキング」
が活発化する。
変動相場制への移行により、
銀行は
アセット・ライアビリティ・マネジメント
(ALM)
を導入。
これは、
ドル建ての資産と
ドル建ての負債を
同額保有することにより
為替リスクを相殺する方法である。
たとえば、
ドル建て資産を1万ドル保有していた場合、
円高ドル安になれば
資産は減価し、
円安ドル高になれば資産は増価する。
逆に、
ドル建て負債を
1万ドル保有していた場合、
円高ドル安になれば負債は減価し、
円安ドル高になれば負債は増価する。
こうして為替リスクを相殺する。
1970年代のオイルマネーの増大と、
インフラ投資額の高騰により、
特定の一つだけの銀行だけでは
融資の実行が困難になり、
シンジケート・ローンが発展した。
シンジケート・ローンとは、
幹事引受銀行が
ローンを組成し、
参加銀行に分売することで、
複数の銀行による
信用リスクの分散化を
図るものである。
しかし、シンジケート・ローンにより、
信用リスクは分散したが、
信用リスクそのものが
低下したわけではない。
この後の
資産の証券化の流れのなかで、
ALMの発展により
リスク管理手段が多様化し、
デリバティブが登場し、急速に拡大した。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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