2024年1月6日土曜日
アドルノはまだ生きている (再掲)
グローバリゼーションによって、
世界の富の大きさは拡大したが、
分配に著しい偏りが生じたことは、
論を俟たない。
日本においても、
新自由主義的な政策の結果、
正規、非正規の格差など、
目に見えて格差が生じている。
そのような中で、
経済的に恵まれない層は、
ワーキングプアとも言われる状況のなかで、
自らのアイデンティティーを
脅かされる環境に置かれている。
エーリッヒ・フロムの論考を
参考にして考えれば、
旧来の中間層が、
自分たちより下に見ていた
貧困層と同じ境遇に
置かれるのは屈辱であるし、
生活も苦しくなってくると、
ドイツの場合は、
プロテスタンティズムの
マゾ的心性が、
ナチズムのサディスティックな
プロパガンダとの親和性により、
まるで
サド=マゾ関係を結んだ結果、
強力な全体主義社会が生まれた。
日本ではどうだろうか?
過剰な同調圧力が
日本人の間には存在することは、
ほぼ共通認識だが、
それは、安倍のような強力なリーダーシップへの隷従や、
そうでなければ、
社会から強要される
画一性への服従となって、
負のエネルギーが現れる。
そこで追究されるのが、
特に民族としての「本来性」という側面だ。
本来性という隠語は、
現代生活の疎外を否定する
というよりは
むしろ、
この疎外の
いっそう狡猾な現われに
ほかならないのである。
(「アドルノ」岩波現代文庫 73ページ)
グローバリゼーションが
後期資本主義における
物象化という側面を
持っているとすれば、
グローバリゼーションによる
均質化、画一化が進行するにつれ、
反動として
民族の本来性といった民族主義的、
右翼的、排外主義的な傾向が
現れるのは、
日本に限ったことではないのかもしれない。
むしろ、
アドルノの言明を素直に読めば、
資本主義が高度に発展して、
物象化が進み、
疎外が深刻になるほど、
本来性というものを
追求するのは不可避の傾向だ、
とさえ言える。
さらには、
資本主義社会が浸透し、
人間が、計量的理性の画一性にさらされるほど、
人々は、
自分と他人とは違う、というアイデンティティーを、
理性を超えた領域に
求めるようになる。
社会全体が体系化され、
諸個人が事実上
その関数に
貶めれられるように
なればなるほど、
それだけ
人間そのものが
精神のおかげで創造的なものの属性である
絶対的支配なるものをともなった原理として
高められることに、
慰めを
もとめるようになるのである。
(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ)
「それだけ
人間そのものが
精神のおかげで
創造的なものの属性である
絶対的支配なるものをともなった原理として
高められることに、
慰めを
もとめるようになるのである」
という言葉が
何を表しているか、
自分の考えでは、
「社会全体が体系化され、
諸個人が
事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど」、
(疑似)宗教のように、
この世の全体を
精神的な色彩で説明し、
現実生活では
一個の歯車でしかない自分が、
それとは
独立した
精神世界のヒエラルキーに組み込まれ、
その
ヒエラルキーの階層を登っていくことに、
救いを感じるようになる、
という感じだろうか。
まるでオウム真理教のようだ。
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