放送大学の「都市と地域の社会学」からインスパイアされたのですが、漱石の「近代化」は、具体的には「都市化」、つまり都市の住民として生きていく、ということだと思うのです。 尾崎豊の「ぼくがぼくであるために」のように、この街に呑まれながらも、自分が自分であるために、勝ち続けなければいけない。 何に対して勝つのかは不明ですが、ある種勝ち続けた先に、自尊心とともに、自分の生き場所、拠り所を見つけよう、ということかと思います。 漱石に依拠すると、「都市化」(「近代化」)というテーマは、尾崎豊もそうですが、濃厚な「身体性」を伴っている、と考えます。 ムラから街へ、ゲマインシャフトとゲゼルシャフト、という対比で見ると、「こころ」では「私」がまだムラ意識が抜けていないのに対し、「先生」は完全に孤独な「都会人」かと思われます。 先ほど「身体性」というキーワードを提示しましたが、それはとりも直さず代助にとっての「百合」が象徴するように、「都市住民」が否応なく「赤の世界」に放り込まれながらも、必死で「自家特有の世界」に逃げ場を確保するように、「身体性」と切っても切り離せない関係にあると思われます。 もちろん、漱石が「近代化」を「皮相を上滑りに滑っていかなければならない」と言いながらも、実際には「近代化」あるいは「都市住民化」の中に、どっぷりと浸かってしまっているわけです。 その意味である種の「自然(じねん)」を犠牲にしながらも手に入れた「都市住民としての自由」を、漱石は完全には否定しない。 だからこそ、「百合」というアイテムによって、「青の世界」に留まる、回帰する、という欲望に囚われながらも、もはや主観と客観の(完全なる)分離は不可能になってしまっている。 それはまさしく、代助が「赤の世界」の経済の論理に船出せざるを得ない帰結に導かれるわけです。 しかし、「こころ」の「先生」の「孤独」、これは簡単に片付けられない問題ですが、「都市住民」として生きていくことが完全なる他者との断絶を意味するか、というと、ここが「都市と地域の社会学」でヒントを得たところなのですが、人々がムラから街に出てきて、完全に「蛸壺」に閉じ込められて、てんでバラバラに暮らしているか、というと、そういう側面は大いにあるにせよ、都市的な生活のなかで、何かしら紐帯、人との関係を取り結んでいく。 むしろ、都市だからこそ出会える関係というものに、魅了されていく。 あるいは、ムラに暮らしてる人たちは、「都市」の自由さに憧れて、都市に惹き寄せられていく。 それでも、何かしらの紐帯、都会でしかありえないような関係性を模索していく。 その意味では、漱石は、「坊っちゃん」以来の「近代化」、こう言って良ければ、「都市化」に強烈な危機感を抱きながらも、現実は「地域」から「都市」に出てきた人たちは、それはそれで何かしらの関係性を他者と取り結んでいく。 まとめるとこのような感じかと思われます。 もちろん、漱石の「近代化」はこれで汲み尽くせるものでは到底ないわけですが、これが一応私なりの考えです。 繰り返すと、漱石の「近代化」(「都市化」)は、皮相を上滑りに滑っていかざるを得ない、と言いながらも、濃密に「身体性」を抜きにしては捉えられない。 むしろ、「身体性」から逃れられないからこそ、そこから逃れようとしても、身体性と「理性」は密接不可分の関係にあるのではないか。 「それから」の「百合」はそのことを象徴するアイテムなのではないでしょうか。 以上、思いつくままに乱筆乱文書き連ね、師走の折に大変失礼ながらも、申し述べさせていただきました。 森本先生より:『それから』論、文句なく納得しつつ拝読させて頂きました。 紛れもない「都市生活者の身体」を描く漱石は、「皮相な近代」を否定しながらも同時に深く「近代」に巻き込まれている‥。常に表裏する二面性に気づきながらも、これを論じる一定の視角を探しあぐねる学界の七転八倒を痛感しながら、学ばせて頂くところ大でした。 共同体からの独立とはそのまま競争社会の到来を意味し、自由とはまた欲望の解禁でもあるーーこれが「近代的個人」なるものが発見した風景であった、ということですね。 おそらくこのジレンマを解く有力な鍵が、これも前に示唆頂いたイギリス功利主義哲学であり、漱石自身、留学時代を通じて「個」の成立と展開に迫るベく、社会科学の文献は相当、読み込んでおり、私自身が追及してみたい大課題でもあります。 「近代的個人」の日本における受容は、中村正直訳のJ.S.ミルあたりに始まるようなのですが、明六社同人のその後の分岐が示すように、その受用は混沌としている、と同時に、逆に「近代」なるものの矛盾と相剋を、ある意味、忠実に反映しているのではないか、といったような感触を最近、抱いているところです。 このような「近代」が究極、求め、また求めるべきであるのが「他者との関係性の構築」であることもまた真実で、『それから』以降の漱石はこれを追尋してゆきますね。 『こころ』は、『それから』の「平岡ー代助」の破綻した関係を、ある意味、「Kー先生」に背負わせ、そこで果たせなかった関係性の成立を、「先生」が「私」へ期待する、といった展開かと考えていますが、「明治の精神」のいわば遺志として託されたものを受け取る「大正」は、しかしながら、日清・日露の戦勝を背景に、過去の村落共同体ならぬ新たな共同体ーー地方を「郷里」として従えながら中央集権を発揮する「国家としてのニッポン」を立ち上げ始めている。「私」も「私」の感受性も確実にその中にあるような気がします。もはや恋愛幻想は消滅しながら、それなりに愛情を以て結ばれた夫婦家族の幸せは疑われていない、そして郷里はそのような近代家族と何ら矛盾しない、連続し得るものとして穏当に把握されている。まさに日本的近代の成熟、ではないのか、と。しばしば指摘されるように、現代日本の基盤はまさに大正期に成立する、という定式がまざまざ実感されるようでもあります。 それにしても、練達の文章ーー明晰な論理が無理なくなだらかに綴られていて、嬉しく、ひたすら感心しながら拝読させて頂いたことでした。2〜3年前までの、一文、一文には論理の冴えが光りながら、文と文、節と節の繋がりに難儀の見えた文章が嘘のようです。 誠実な精進の毎日の賜物、とは、まさに、このことですね。 ますますのご成長とご発展をと祈らずにおれません。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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