俺:先週末の2日間、大変貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。 大変勉強になりました。 家に帰ってから、プライマリーバランスについて調べたのですが、少し疑問が生じたので、質問させていただきます。 「財政状況を示す指標の1つで,プライマリー・バランス均衡とは,利払費・債務償還費を除いた歳出が公債金収入以外の歳入で賄われている状態を指す。この場合,現世代の受益と負担が均衡していることになる。プライマリー・バランス均衡の状態で,金利と名目GDP成長率が等しければ,債務残高の対GDP比は一定に保たれる。 有斐閣経済辞典第4版」 とあるのですが、まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? 私も勉強不足で、少し曖昧な質問になってしまい恐縮ですが、ご回答たまわれれば幸いです。 新潟大学 根岸睦人先生より:小林さん 新潟大学の根岸です。先日はお疲れさまでした。 早速ですが、質問にお答えします。 >まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? いいえ、必ずしもそうではありません。仮にプライマリーバランス(PB)が赤字(利払い費の規模を超える債務残高の増加)でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下します。 PBのバランスと、利子率と名目成長率の関係の両面で考える必要があります。 (以下 google bard より回答) 根岸先生の回答は、以下のとおりです。 プライマリーバランスが赤字でも、債務残高の対GDP比が低下する可能性がある プライマリーバランスとは、利払い費を除いた歳出が公債金収入以外の歳入で賄われている状態を指します。プライマリーバランスが赤字であれば、利払い費の規模を超える債務残高の増加となります。 しかし、仮にプライマリーバランスが赤字でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下する可能性があります。 例えば、プライマリーバランスが年間100億円の赤字で、債務残高が1兆円、名目GDP成長率が5%である場合、債務残高は年間500億円増加します。しかし、名目GDPが年間6%成長すれば、債務残高の対GDP比は低下します。 つまり、プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比は、単純に比例関係にあるわけではありません。 プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要がある ただし、プライマリーバランスが赤字の状態が続くと、いずれは利払い費が債務残高の増加額を上回るようになり、債務残高の対GDP比が急速に上昇する可能性があります。 そのため、プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要があります。 小林さんの質問に対する回答 小林さんの質問に対する回答は、以下のとおりです。 まずプライマリーバランスを実現しないことには、いくら名目GDP成長率が金利を上回っていても、債務残高は、長期的に見れば発散してしまうのでしょうか? はい、必ずしもそうではありません。仮にプライマリーバランスが赤字でも、債務残高の増加率を上回るGDPの成長率が実現すれば、債務残高の対GDP比は低下する可能性があります。 ただし、プライマリーバランスが赤字の状態が続くと、いずれは利払い費が債務残高の増加額を上回るようになり、債務残高の対GDP比が急速に上昇する可能性があります。 そのため、プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要があります。 根岸先生の回答のまとめ 根岸先生の回答は、プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比の関係について、以下の2点が重要であると述べています。 プライマリーバランスの赤字と債務残高の対GDP比は、単純に比例関係にあるわけではない。 プライマリーバランスの赤字を縮小し、利子率と名目成長率の両面で対策を講じる必要がある。 この回答は、日本の財政状況を考える上で重要な指摘です。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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