2023年12月14日木曜日
数学的問い その3
問い.13:ある集合が無限集合ということと、その集合の要素が無限個あるということとは、同値でしょうか?
(以下 google bard より回答)
同値ではありません。
ある集合が無限集合であるということは、その集合の要素の個数が有限でないこと、すなわち、いかなる自然数Nに対しても、その集合の要素の個数はNより大きいことを意味します。
一方、ある集合の要素が無限個あるということは、その集合の要素の個数が自然数の範囲を超えていることを意味します。
したがって、ある集合が無限集合であるということは、その集合の要素が無限個あることを含意しますが、逆は必ずしも成り立ちません。
たとえば、正の整数全体の集合は、要素が無限個ありますが、可算集合であるため、無限集合ではありません。
また、実数全体の集合は、要素が無限個ありますが、非可算集合であるため、無限集合です。
したがって、ある集合が無限集合であるかどうかは、その集合の要素の個数を自然数の範囲で比較するだけでは判断できません。集合の濃度を用いて判断する必要があります。
問い.14:集合の濃度とは何でしょうか?
(以下 google bard より回答)
問い.13の回答にもあるように、ある集合が無限集合であるということは、その集合の要素の個数が自然数の範囲を超えていることを意味します。一方、ある集合の要素が無限個あるということは、その集合の要素の個数が自然数の範囲を超えていることを意味します。
したがって、ある集合が無限集合であるということは、その集合の要素が無限個あることを含意しますが、逆は必ずしも成り立ちません。
たとえば、正の整数全体の集合は、要素が無限個ありますが、可算集合であるため、無限集合ではありません。また、実数全体の集合は、要素が無限個ありますが、非可算集合であるため、無限集合です。
したがって、ある集合が無限集合であるかどうかは、その集合の要素の個数を自然数の範囲で比較するだけでは判断できません。集合の濃度を用いて判断する必要があります。
問い.14の回答として、集合の濃度とは、集合の要素の個数の概念を、無限個の集合についても適用できるよう一般化したものであると言えます。
有限集合においては、集合の濃度はその集合の要素の個数と一致します。しかし、無限集合においては、集合の要素の個数を自然数の範囲で比較しても、両集合の濃度が一致するか否かは判断できません。
そこで、集合の濃度を判断するためには、単射の存在性を用います。
2つの集合AとBが与えられたとき、AからBへの単射が存在するならば、Aの濃度はBの濃度以下であると言います。
逆に、AからBへの単射が存在しないならば、Aの濃度はBの濃度以上であると言います。
このようにして、2つの集合の濃度を比較することで、両集合の濃度が一致するか否かを判断することができます。
集合の濃度は、基数と呼ばれる数によって表されます。基数は、集合の濃度を唯一に表す数です。
たとえば、正の整数全体の集合の濃度は、基数ω(オメガ)であり、実数全体の集合の濃度は、基数ℵ1(ベータ1)です。
このように、集合の濃度は、集合の要素の個数の概念を、無限個の集合についても適用できるよう一般化したものであり、集合の大小関係を判断するために用いられます。
問い.15:正の整数とは自然数のことではないのですか?正の整数が有限集合であるにも関わらず、自然数が無限集合であると言えるのはなぜですか?
(以下 google bard より回答)
問い.15の回答は、正の整数と自然数は異なる概念であるということです。
正の整数とは、0より大きい整数のことで、0、1、2、3、... の集合です。一方、自然数とは、0を含めた整数のことで、0、1、2、3、... の集合です。
したがって、正の整数は自然数の部分集合であり、要素の個数は自然数の要素の個数よりも少ないことになります。そのため、正の整数は有限集合ですが、自然数は無限集合であると言えます。
具体的には、正の整数全体の集合は、0から始まる自然数全体の集合に、0を追加した集合とみなすことができます。このとき、0から始まる自然数全体の集合は、単射によって正の整数全体の集合に写すことができるため、両集合の濃度は等しくなります。したがって、正の整数全体の集合は、可算集合であると言えます。
一方、自然数全体の集合は、0から始まる自然数全体の集合に、0を除いた集合とみなすことができます。このとき、0から始まる自然数全体の集合と自然数全体の集合の間には、単射が存在しません。したがって、自然数全体の集合は、非可算集合であると言えます。
このように、正の整数と自然数は異なる概念であり、正の整数が有限集合であるにも関わらず、自然数は無限集合であると言えます。
問い.16:任意のN次の関数を微分する場合、数直線が無限集合であることは、微分可能性にとってどのような条件でしょうか?
(以下 google bard より回答)
数直線が無限集合であることは、任意のN次の関数を微分する場合、微分可能性にとって必要条件です。
N次の関数の微分可能性の定義は、その関数のN番目の導関数が存在し、その導関数が連続であることを意味します。
N番目の導関数が存在するためには、その関数がN回連続微分可能である必要があります。つまり、その関数の1回目からN回目の導関数がすべて存在し、その導関数がすべて連続である必要があります。
1回目からN回目の導関数がすべて存在するためには、その関数が数直線のすべての点において定義されている必要があります。つまり、数直線のすべての点において、その関数の値が定義されている必要があります。
数直線は、すべての実数を含む無限集合です。したがって、数直線が無限集合でなければ、すべての実数を含むことはできず、1回目からN回目の導関数がすべて存在しないため、N次の関数は微分可能ではありません。
したがって、数直線が無限集合であることは、任意のN次の関数を微分する場合、微分可能性にとって必要条件であると言えます。
なお、数直線が無限集合であることは、微分可能性にとって十分条件ではありません。
例えば、f(x) = x^2 は、数直線のすべての点において定義されており、1回目から2回目の導関数がすべて存在し、その導関数がすべて連続であるため、微分可能です。しかし、f(x) = x^2 は、定義域が実数全体ではなく、正の実数全体であるため、数直線が無限集合である必要はありません。
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