2023年11月18日土曜日

「人間の条件」 ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫 (再掲)

近代の経済学の根本にあるのは これと同一の画一主義である。 つまり、近代の経済学は、 人間は行動するのであって、 お互い同士 活動するのではないと仮定している。 実際、 近代の経済学は 社会の勃興と時を同じくして 誕生し、 その 主要な技術的道具である 統計学とともに、 すぐれて社会の科学となった。 経済学は、近代に至るまで、 倫理学と政治学の あまり重要でない一部分であって、 人間は 他の分野と同様に、 経済行動の分野においても 活動するという仮定にもとづいていた。 この 経済学が科学的性格を帯びるようになったのは、 ようやく 人間が社会的存在となり、 一致して 一定の行動パターンに従い、 そのため、 規則を守らない人たちが 非社会的あるいは異常と みなされるようになってからである。 (65~66ページ) (中略) しかし、 多数を扱う場合に 統計学の法則が 完全に有効である以上、 人口が増大するごとに その有効性が増し、 それだけ「逸脱」が激減するのは 明らかである。 政治の次元でいうと、 このことは、一定の政治体で 人口が殖えれば殖えるほど、 公的領域を構成するものが、 政治的なるものよりは、 むしろ社会的なるものに 次第に変わってゆく ということである。 (66ページ) (中略) 行動主義とその「法則」は、 不幸にも、有効であり、真実を含んでいる。 人びとが多くなればなるほど、 彼らはいっそう行動するように思われ、 いっそう非行動に耐えられなくなるように 思われるからである。 統計学の面でみれば、 このことは 偏差がなくなり、標準化が進むことを意味する。 現実においては、 偉業は、行動の波を防ぎとめるチャンスをますます失い、 出来事は、 その重要性、 つまり 歴史的時間を明らかにする能力を失うだろう。 統計学的な画一性は けっして無害の科学的理想などではない。 社会は型にはまった日常生活の中に どっぷり浸って、 社会の存在そのものに固有の 科学的外見と仲よく共存しているが、 むしろ、 統計学的な画一性とは、 このような社会の隠れもない政治的理想なのである。 (67ページ) (中略) 大衆社会の出現とともに、 社会的なるものの領域は、 数世紀の発展の後に、大いに拡大された。 そして、 今や、社会的領域は、 一定の共同体の成員をすべて、 平等に、かつ平等の力で、抱擁し、統制するに至っている。 しかも、社会はどんな環境のもとでも均一化する。 だから、 現代世界で平等が勝利したというのは、 社会が公的領域を征服し、 その結果、 区別と差異が 個人の私的問題になった という事実を政治的、法的に 承認したということにすぎない。 (64ページ) 「人間の条件」ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫

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