結構
笑えた。
ファイナンシャル・プランナーに
相談する人
ディスってたけど、
俺的には、
ファイナンシャル・プランナーに
お世話になったこと
ないから
わかんないけど、
ひろゆき氏によれば
一人ひとりライフスタイルが違うのに
顧客を「平均」で
捉えるのがそもそも
間違ってる的なこと
言ってたけど、
貯金とか収入額とか家族構成とかで、
人間の生活って
だいたい決まってくると
思うんだよね。
夜中に映画館で映画見る回数が多い人は
逆に
収入低いとか、
衣服や美容に結構お金遣う人も
同様とか。
そういうの
データ取れば
わかっちゃうと思うんだよね。
統計学的には。
逆に
そういう
統計学的な推測から
自由に生活出来る人って、
それこそ
ひろゆき氏ぐらいのもんだと
思うけど。
むしろ、ファイナンシャル・プランナーに
超個人情報教えまくって
大丈夫なのか?
というほうが気になるが。
ファイナンシャル・プランナーが
よっぽどのモラル観念の持ち主でない限り、
そんなこと教えられないがな。
それに、ファイナンシャル・プランナーが出来るのって、
シミュレーションだと思うんだけど、
確かに
長い目で見れば
経済的な事象は予測しやすい側面が
あるとはいえ
(少子高齢化の帰結とか)
もし
中国軍が台湾に対して
軍事攻撃しかけたら
日本はどうなるか、なんて
どうやったら
予測できるのか?とか思うし、
ファイナンシャル・プランナーに
日銀の出方が
予測できるのか?
それに基づいて
顧客の資産運用に口出しできるのか?
とか
色々
ツッコミどころはある。
だからこそ、みんな
ひろゆき氏にあこがれて、
ネットで相談とか
するわけじゃん。
ま、いずれにせよ
結構
笑えた。
確かに、こっちの個人情報
教えずに、
「平均」で見られるのは
おかしい、というのは首肯できるが、
余計にカネ払って
さらに
こっちの個人情報教えるのは
愚行だと
思うが。
そういう情報ってカネになるからね。
ファイナンシャル・プランナーが業者に売ることも
考えられるし、
あるいは
国に売ってたら、
国民監視の材料にされる。
結構おそろしい話よ。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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