2023年11月3日金曜日

読売新聞のネット記事

鹿児島大学の教授が、 熟慮が足りない人ほど 陰謀論を信じやすい、 という 心理学の論文を 発表したらしい。 確かに、と思い当たるフシはある。 熟慮が足りない人ほど、 自分に都合のいいことしか 信じない傾向がある というのは首肯できるし、 時に そういう傾向の負の側面が目につく、 ということもある。 例えば、 関東大震災の時に、自警団が朝鮮人や、 あるいは朝鮮人と誤認した 日本人を虐殺した事件などだ。 確かに、 そういう時こそ熟慮が必要、 というのはわかる。 しかし、 世の中が熟慮に富む人間だらけだったら、 これもまた 不具合があるのではないか。 「人が人を信じる」ということは、 時には熟慮を欠いた状況、 あるいは熟慮を欠いた性向を持った人間が 必要なのではないか? 熟慮を欠いた人間ばかりでは 世の中が混乱するが、 時には 迂闊に他人を信じてしまう人間がいるからこそ、 社会が成り立つ、 あるいは根元的に「人が人を信じる」ということが 起こり得るのではないだろうか。 そして、 この側面は、 人々の間で 秘かに秘められており、 おおっぴらにはされない。 従って、見逃されがちだ。 しかし、 社会を成り立たせる上で 欠かせない要素と 思われる。 https://www.yomiuri.co.jp/national/20231101-OYT1T50199/

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曽根崎心中 (再掲)

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