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レポート

さんざん SFCを 悪し様に書いておいて なんだけど、 小論文書けるようになった、 というのは 大きいよね。 配点の半分が 小論文だから、 いくら 英語できても 小論文書けないことには 受からないわけだし。 2回 落ちてるから尚更。 別に行きたかったわけでもないが。 そもそも、 高校時代から、 レポートが書けなくて 苦労した。 中学受験で 武蔵に入った同級生は、 小学生の頃から さんざん 「書く」訓練をしてるから、 文章を書くということに まったく 苦労を感じない。 自分は、高校受験で 特に 文章を書くことを 要求されてないし、 佐日でだって、当然 レポートなんか 書かない。 武蔵で無力感を感じたことは 挙げればキリがないが、 現国で レポートが書けずに、 それでも 無理やり書いたら、 横山にキレられて 呼び出しまで食らったことだった。 文章を書く、という 超基本的なところで、まず 歯が立たない。 これはショックだった。 上述した通り、 SFCも 2回落ちてるが、 3回目で ようやく受かった時は、 別に行きたかったわけではないとはいえ、 嬉しい気持ちがあったのは 当然だ。 2000字書いて、 それが 評価されて合格したんだから。 とはいえ SFC入ってからも レポートが書けなくて苦労したが。 こうやって ブログを書いているのだって、 半分は 文章を書く訓練をしているようなものだ。 これは あながちバカにできなくて、 放送大学の面接授業なんかも、 試験かレポートが必須になったから、 8限の半分で レポートを書くパターンが多いが、 先日の ドイツ近現代史でも、 いの一番に レポート書き上げて、すぐ 帰ることが出来た。 もちろん 理系の授業で同じことは出来ないし、 わかってるから そもそも取らないが、 レポートを書けるようになった、ということは 人生のうえで大きい。 2浪して 駿台の小論文の授業で、 今野雅方という先生の授業受けて、 特に 書き方のコツを教わったとかじゃ 全然ないんだが、 自分が レポートを書いては消し、 書いては消し、を 繰り返しているのを見て、 先生が 「文章が揺れてるね。」と 言ってくれたのが、なにかの キッカケにはなったと思う。 頭の中では なにか渦巻いているんだが、 それを 文章で表現できなかった。 山崎正和の「不機嫌の時代」を読んで、 自分のモヤモヤした気分を うまく表現してくれている気がして、 ハタチになってようやく 本を読むことを覚えた。 それまでは 本なんかバカにして読まなかった。 それから、トーマス・マンの「魔の山」なんかを、 御茶ノ水の駿台から 羽生に帰る帰路のなかで 読んだりした記憶がある。 まあ、あの時点で相当こじらせてたんだな。 しかし、実際に SFCに入ってみたら、口八丁手八丁な連中ばかりで、 そもそも 言ってることすら 首尾一貫してないやつが多かった。 昔よく 姉から 「国語力ならお前に負けてない」 などと、 喧嘩を売られたものだが、 短大の400字のレポートも 母親に書いてもらったクセに バカ言ってんじゃねーよ。 と、言ってやりたかった。

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