代助とアドルノ

自分:「それから」における代助の描写ですが、アドルノとの親和性は確かにありつつ、私としては、経済発展に伴う「疎外」をそこに見出したかったのですが、先生がお返事してくださったように、「姦通へのスプリングボード」と解釈したほうが、より人間の営みとして普遍性が強く、また、アドルノとの親和性も毀損されない、と思い至るようになりました。 先生:『それから』とアドルノについては、例の百合の場面をめぐって、主に読むべきが所謂主格一体の成立にあるかどうか議論したのは懐かしい記憶ながら、小林くんが教えてくれたアドルノの「疎外」論については、まさに『それから』全編、というより「長井代助」という人間の根本を侵している時代現象として、学ぶところ大いに大、また本格的に論じる機会のある時には心して論の基本に置かなければ、と誠に感謝している次第です。

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