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愛を病むETたち (再掲)

宗教が とうに 瓦解し、 また 個人間の 永続的愛も 神話的にしか 語られない現在、 自己の固有性が つくられ 更新される 愛の空間は 芸術にしか 残されていない、 というのが クリステヴァの 考えである。 『愛の歴史=物語』 の 結びの章で、 現代人は 愛を病むET (地球外異生物) に 喩えられている (「愛を病むETたち」)。 心的空間を奪われ、 したがって 自分固有の 像を失って、 ただ 愛を再び つくりだそうと のみ 願っている、 追放された者。 われわれは 皆ETなのだ、 と 彼女はいう。  ここにおいて、 <想像的父> を 核とする 彼女の 愛のテクスト理論は、 精神分析医としての 実践と 結びついてゆく。 本書のなかに登場する ジャンやマリーたちの ボーダーラインと症例、 パラノイア、 ヒステリー等は、 いずれも <想像的父> の 不在において 生じている、と されることになる。 彼らが等しく 必要としているものは、 同一化の極としての 愛する<父>である。 分析医は 彼らの <想像的父> となって、 転移=逆転移という 愛の関係において、 彼らが 自分固有の像を 築く 手助けを してやらなければならない。 (300ページ)  彼らETたちが 語ることに 成功したとき、 そのことばが、 ナルシス的言語であることは いうまでもないだろう。 つまり、 身体的欲動を 意味につなげる ことのできる 言語である。 超自我の権力が 支配する 一義的意味も、 その 反権力である 無意味をも、 ともども 無効にしてしまうような、 情動的理性の ことばである。 「虚構的意味の つかのまの展開」 を 可能とする、 そのような 言語活動へとー 文学、音楽、映画 などの 芸術的創造活動、 知的作業、 つまり 想像的なものによって 働きかけられる サンボリックな場 へとー 入ってゆくこと。 想像的なものの このような解放を 通して、 本来 想像的なものとして ある 主体は、 生きることができる。 (301ページ)  想像的ナルシスたちの 新たな 創造行為によってしか、 合理主義的現代の 愛の危機は 乗り越えられないだろうと 語る クリステヴァの考えは、 現在の日本の 状況にも 数かずの 示唆を 与えてくれるように 思われる。 想像的空間の危機は、 いまや 地球的規模の問題 だからである。 危機は、 死の欲動 (棄却) という 破壊と暴力の衝動が コード化される 経路が 与えられていない、つまり、 それが 表象され、昇華されるには、 いまある コードとは 別の コードが 必要なのに、 その通路が まだ 開かれていない、という ことにある。 日本のいま現在に 頻発している 暴力も、 その危機の現れに ほかならないだろう。 (302~303ページ)  死の欲動は、 愛の名において 服従を命じる 法としての <父> によっては 包摂されない。 クリステヴァのいう <想像的父> のような、 死を生へと 転ずることのできる 愛する <父> によって、 いいかえれば、 情動を 意味へと つなげることのできる 新たなコード化によってしか、 昇華されないだろう。 そして、 そのような コードを 虚構的な つかのまの ものとして つくり出すことが できるのは、 「もはや 宗教でも、 政党でも、 政治的参加でもなく、 あるいは、 ほとんどなく、 創造的行為、 言語活動といった 想像的な 個人的営み でしかないだろう」 (『アール・プレス』七四号) というクリステヴァの 発言は、 我われ 一人ひとりに 日常的実践を 問い返させる ものとなっている。 (303~304ページ)

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夏目漱石とアドルノ:「それから」を題材に (再掲)

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