メンタルが
ウツ気味だから、
テコ入れに
放送大学の
面接授業、
なるべく
早い
時期に
予定変更して
前倒し
した。
11月まで
何もないってのは
さすがに
キツイ。
・・・ホッ、
テコ入れが効いて
だいぶ
楽になったぜ。
メンタルクリニックにも
行ってきたしな。
母親も
(俺が買った)
ボケ防止の
ドリル
ちゃんとやってくれてるし。
いぜん問題なし!
急に
汗が吹き出てきた。
・・・我ながら
びっくりした。
さすがに勉強は
もういいだろ、と
思ったけど、
まだ
飽き足りないらしい。
どんだけー
勉強してる間は
夢見てるのと
同じようなもんだから、
ハッピーだけどね。
勉強は
裏切らない。
・・・ここ数日の
メンタルの不調は、
勉強意欲を
無意識のうちに
自分自身で
抑え込んでいたのが
原因だったんだな。
アリストテレスによれば、
欲望は
多すぎても
少なすぎても
ダメらしい。
重要なことは、
欲望を
円にたとえて、
円の中心を
知っていることだとか。
円の中心を知っていれば、
そこからの
距離がわかる。
そうすれば、
自分の欲が
どれくらい
ハミ出しているかが
わかる。
自分の
勉強したい欲は、
自分が思っていたより
お盛んだ。
つっても
あんまり
面接授業
を
科目登録しても、
抽選で落ちて
ある程度のところに
落ち着くんだけどね。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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