2023年8月12日土曜日

アーレントとカール・シュミット (再掲)

アーレントは、 「人間の条件」で、 現代人は、 ただ 経済学の原理に 従うだけの存在であり、 傑出した人間も その反対の人間も、 偏差という意味では 人口の増加に伴って 大差のないものであり、 社会の 都合の良い存在に 成り果て、 どんな偉業も 社会の趨勢を変えることはない、 と述べている。 エルサレムのアイヒマンで、 悪の陳腐さを 白日の下に晒した 彼女にとって、 人間は もはや 信用できないもので あったのだろうか。 誰もが、 現世の組織の歯車として、 それ以上のものでは なり得なくなった 現代社会において、 人間の価値とは 何なのであろうか? 単に 社会の中のアトムに 過ぎないのであろうか? こう問いを立てたとき、 カール・シュミットの 「例外状態」理論は 魅力的に見えてくる。 シュミットのいう 「例外状態」とは、 端的に戦争のことであり、 そこにおいて、 友と敵を 明確に区別することによって、 社会のモヤモヤした部分が 排除され、 国家の本質が 明確になるからだ。 これは 大衆社会にとって ある種の処方箋になりうるし、 当然 国家主義者にとっては 都合の良い理屈だ。 しかし、 アーレントの、 このモヤモヤした 社会の中で いかに個々人が その存在を輝かせるか、 という困難な思索のほうが、 困難であるだけ、 なお価値があると思われる。 結局彼女の 多数性における赦しとは、 キリスト教的な 愛の観念に基づくものなのだが、 彼女自身がユダヤ人であり、 万人への愛を説くキリスト教的な愛よりも、 むしろ 峻厳な神からの愛としてのユダヤ教的な 赦しの様相を拭いきれないのは、 その苛烈さが 社会のモヤモヤした 部分を 切り裂くような 可能性を 帯びているからとは 言えないだろうか。

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