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「現代ドイツ思想講義」 作品社 より 抜書 (再掲)

こういう風に考えてみて下さい。 主体化した人間は、 主客未分化で 混沌とした自然から 離脱して 自立しようとしながら、 その一方で、 身体的欲望のレベルでは 自然に引き付けられている。 自らの欲望を最大限に充足し、 完全な快楽、 不安のない状態に至ろうと している。 それは、ある意味、 自然ともう一度統合された状態と 見ることができます。 母胎の中の胎児のように、 主客の分離による 不安を覚える必要がない わけですから。 そして、 そうした完全な充足状態に 到達すべく、 私たちは 自らの現在の欲望を抑え、 自己自身と生活環境 を 合理的に改造すべく、 努力し続けている。 安心して寝て暮らせる 状態に到達するために、 今はひたすら、 勤勉に働き続け、 自分を鍛え続けている。 しかし、 本当に「自己」が確立され、 各人が計算的合理性のみに従って 思考し行動するだけの 存在になってしまうと、 自己犠牲によって 獲得しようとしてきた 自然との再統合は、 最終的に不可能に なってしまいます。 日本の会社人間の悲哀という 形でよく聞く話ですが、 これは、ある意味、 自己と環境の啓蒙を通して、 「故郷」に帰還しようとする、 啓蒙化された人間全て が 普遍的に抱えている問題です。 啓蒙は、 そういう根源的自己矛盾 を 抱えているわけです。 (「現代ドイツ思想講義」作品社 148ページ) かなり抽象的な 説明になっていますが、 エッセンスは、先ほどお話ししたように、 自然との再統合を目指す 啓蒙の過程において、 人間自身の「自然」 を 抑圧することになる、 ということです。 啓蒙は、自然を支配し、 人間の思うように利用できる ようにすることで、 自然と再統合する過程だと 言えます。 自然を支配するために、 私たちは社会を 合理的に組織化します。 工場での生産体制、 都市の交通網、エネルギー供給体制、ライフスタイル等 を 合理化し、 各人の欲求をそれに合わせる ように仕向けます。 それは、 人間に本来備わっている “自然な欲求”を抑圧し、 人間の精神や意識 を 貶めることですが、 啓蒙と共にそうした事態が 進展します。 後期資本主義社会になると、 その傾向が極めて顕著になるわけです。 それが、 疎外とか物象化と呼ばれる現象ですが、 アドルノたちはそれを、 資本主義経済に固有の現象ではなく、 「主体性の原史」 に既に刻印されていると見ます。 (「現代ドイツ思想講義 作品社」150ページ)

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