2023年7月9日日曜日

「現代ドイツ思想講義」 作品社 より 抜書 (再掲)

こういう風に考えてみて下さい。 主体化した人間は、 主客未分化で 混沌とした自然から 離脱して 自立しようとしながら、 その一方で、 身体的欲望のレベルでは 自然に引き付けられている。 自らの欲望を最大限に充足し、 完全な快楽、 不安のない状態に至ろうと している。 それは、ある意味、 自然ともう一度統合された状態と 見ることができます。 母胎の中の胎児のように、 主客の分離による 不安を覚える必要がない わけですから。 そして、 そうした完全な充足状態に 到達すべく、 私たちは 自らの現在の欲望を抑え、 自己自身と生活環境 を 合理的に改造すべく、 努力し続けている。 安心して寝て暮らせる 状態に到達するために、 今はひたすら、 勤勉に働き続け、 自分を鍛え続けている。 しかし、 本当に「自己」が確立され、 各人が計算的合理性のみに従って 思考し行動するだけの 存在になってしまうと、 自己犠牲によって 獲得しようとしてきた 自然との再統合は、 最終的に不可能に なってしまいます。 日本の会社人間の悲哀という 形でよく聞く話ですが、 これは、ある意味、 自己と環境の啓蒙を通して、 「故郷」に帰還しようとする、 啓蒙化された人間全て が 普遍的に抱えている問題です。 啓蒙は、 そういう根源的自己矛盾 を 抱えているわけです。 (「現代ドイツ思想講義」作品社 148ページ) かなり抽象的な 説明になっていますが、 エッセンスは、先ほどお話ししたように、 自然との再統合を目指す 啓蒙の過程において、 人間自身の「自然」 を 抑圧することになる、 ということです。 啓蒙は、自然を支配し、 人間の思うように利用できる ようにすることで、 自然と再統合する過程だと 言えます。 自然を支配するために、 私たちは社会を 合理的に組織化します。 工場での生産体制、 都市の交通網、エネルギー供給体制、ライフスタイル等 を 合理化し、 各人の欲求をそれに合わせる ように仕向けます。 それは、 人間に本来備わっている “自然な欲求”を抑圧し、 人間の精神や意識 を 貶めることですが、 啓蒙と共にそうした事態が 進展します。 後期資本主義社会になると、 その傾向が極めて顕著になるわけです。 それが、 疎外とか物象化と呼ばれる現象ですが、 アドルノたちはそれを、 資本主義経済に固有の現象ではなく、 「主体性の原史」 に既に刻印されていると見ます。 (「現代ドイツ思想講義 作品社」150ページ)

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