2023年7月11日火曜日
漱石の魅力
俺:漱石の魅力は、エモさに逃げないところですよね。
どこまでも論理で詰めようとする。
それが「行人」の一郎のような狂気一歩手前まで行っても、そこで終わらない。
結局はホモソーシャルという親密圏から逃れられてはいないし、他者との繋がりの構築という意味では解決案を呈示できてはいないのですが、安易な妥協をしないで、むしろ問いを現代の私たちに投げかけ続けているところが、漱石の最大の価値なのではないか、と思われます。
森本先生:エモさに逃げない論理性、そしてそのように追尋しても、なお解決不能な不可解な「他者」との関係性ーーいずれも納得、なるほど、まさにその通りですね。
ただ、ホモソーシャルへの囚われ、という点についてはーー解消はできぬながら、最後のところで拒否しているのでは、といった感触があります。「一郎」は、深い眠り、という形で、自分を描写して弟、二郎へ報告しようとする「Hさん」の〈解釈〉を中途で遮断、宙吊りにしてしまいますね。これを以て「Hさん」を媒介に「一郎ー二郎」と連なってゆきかけたホモソーシャル連続体も宙吊りにされてしまいます。
『こころ』でも「先生ーあなたーあなた方」は一見、ホモソーシャルな共同体を形成しているようではありながら、ここでの「先生」は死者、メッセージは「遺書」ーーつまり「生命」と引き換えにしてしか連続体らしきものは構成されません。
しかも興味深いのは、この「一郎」や「先生」のホモソーシャルな連なりに対する拒否感が、必ずしもジェンダーに対する相対化から来ているのではなく、むしろ強烈な「個(我)」意識ーー私は私であって他の誰でもないーーから来ているらしいことです。「先生」は「遺書」の書き始めに、自分の命が潰えることを絶対条件に過去を明かすことにした理由として、何と「私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有」だ、というような趣旨を述べています。今で言うところの「プライバシー」ですが、それがあくまで自分の「こころ」に立ち入られることへの拒否感であることは注目に値します。まるで「個室」がそうであるような、「内面」の仕切りを持った容量とでも呼ぶべきものが伝わってくる一節です。
「私」が回想する、「先生と私」のあの忘れ難い鎌倉の海辺における出会いの場面についても、遭遇の歓びに海の中で身体を躍らせ、「愉快ですね」と呼びかける私に対して、「先生」は静かに波の上に横たわりながら「もう帰りませんか」と促すのです。もちろん、この距離感は、直接的には「先生」がすでに「(自)死」を念頭に置いているからではあるのですが、「自他」の絶対的差異に対する鋭敏な意識、そのもののようにも思われます。
だから漱石は孤独だし、また容易に「関係性」も成り立たないわけですが。
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