俺:高級なと言っては手前味噌ですが、いわゆる知識人層のホモソーシャルは、お互いを信用できる、という意味でのみならず、時には抑制を効かせてくれる、という意味でも、安定的であるような気がします。 たとえお互い家族を持っていたとしても。 それが、なぜか中国を理想とする古典の世界と同一視されている気がします。 ただ、野卑な連中の、お互いのナアナアだったり、無駄に党派的だったりするところと違うところがまた、安定的でもあり、居心地が良かったり、という気もします。 平成のバブル真っ盛りの頃から、その崩壊後しばらくの間信じられていた男女の性愛結婚という幻想が崩れたいま、人は人を信じることを放棄するか、あるいはボーイズ・ラブのようなある種の強度なホモソーシャルの世界にしかリアリティーを感じられないのかも知れません。 先生:「ホモソーシャル」は、「友愛」の名の下に構築される社会的関係なので、近代(的個人)の成立が要件かと思われ、古典漢籍にその理想を見るのは、近代が中国古典時代を捉える「振り返り」の眼差しが作り上げたもののように思えます。興味深いのは、『行人』の一郎が逃げ込む場所がここで、同時にまた『それから』の父・長井得も漢籍の素養が深い人物として造型されています。そして『明暗』の津田は、漢籍に通じない男であると規定されている‥。『明暗』は後期の漱石にしては珍しく、ホモソーシャルが後景に退いた作品です。 漱石は「ホモソーシャル」が女性のみならず、男性の関係性、ひいては一個人としての男性を抑圧する(偽装された社会関係の抑圧性)装置であると考えていたのでは、と私などは思っています。『それから』で「平岡」との関係を通してその機能・作用を自覚した漱石は、それを『行人』で徹底分析、『こころ』ではその呪縛を免れるべく「K」そして「先生」の死を描き、「私ー先生」の関係に期待を込めますが、結局、「私」は「奥さん」との間に個人と個人がふ触れあうような一瞬を体験しながら、やっぱり死んだ「先生」の元へ帰還してしまったのではないか‥。 絶筆『明暗』が再び、「眉の濃い・黒目がちの瞳」をしたラファエル前派もどきの強い女・お延を登場させ、彼女との闘争の中に自己を模索するしか術のない主人公、津田を描かざるを得なくなった所以のようにも思われるのですが。この辺り、また検討し直してみたい、とお便り拝読してつくづく思いました。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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