放送大学の「グローバル経済史」の授業でも、イギリスがいち早く産業革命を達成出来たのは、良質な石炭の産地と天然の良港が近接していたからだ、という議論があったけど、それが正しいとすれば、まさに日本にも当てはまる。 日本は、九州北部で非常に良質な石炭が産出され、それを長崎という天然の良港へとすぐに輸送することが出来、しかも上海という巨大なマーケットが存在していた。 石炭の産出地と輸出港が近接していることの最大のメリットは、石炭が酸化する前にマーケットへ届けることができるという点。 石炭は非常に酸化しやすいので、すぐに消費することが望ましい。 しかも、九州北部の石炭は非常に良質だった。 上海という巨大なマーケットが近くに存在していたメリットも大きく、オーストラリア産やイギリス産をも駆逐し、日本産の石炭は決定的な価格支配力を持っていた。 なぜなら、オーストラリア産やイギリス産の石炭がいくら良質でも、輸送中に酸化してしまうからである。しかも、日本は低価格で大量に販売したので、上海市場において他地域産の石炭を駆逐した。 また、石炭は江戸時代後期から使われており、製塩業の国内シェア9割を占めていた瀬戸内海沿岸の塩田で窯焚き用に中国地方産の石炭が使われていた。早い段階で石炭を商品として廻す市場システムが存在していたことも、日本の強みだった。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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