俺:昨日の日経新聞に載っていたのですが、1970年時点では、韓国よりも北朝鮮のほうが、1人あたりGDPが高かったそうです。
今では韓国のほうが54倍高いそうですが。
隔世の感がありますね。
それはともかく、最近になって急速に韓国が日本人にとっても「近い国」になりましたが、ソフトパワーの力は凄いなと思わされます。
その韓国も、2002年に1度行ったきりなのですが、なんとなくやはり個人主義の波が浸透してきているような印象を受けます。
やはり、資本主義というのは不可避的に個人主義と親和性が強いのかもしれません。
そこで漱石を振り返ってみると、やはり漱石と資本主義の結びつきは強い、切り離せない関係にあるのではないか、と思わされます。
漱石の場合は、個人主義を超えて孤独主義まで行ってしまったようにも思えますが。
韓流ドラマのありがちな恋愛ドラマを見ていると、資本主義が急速に発展すると、不可避的に<恋愛>が重要な位置を占めるようになる、そんな気もします。
合理性で貫徹された社会に対抗する橋頭堡であり、同時に逃げ場所でもあるような。
先生:漱石個人主義と資本主義の不可分な結び付き、というのは、特に近年、論文にせよ授業にせよ、ご一緒して頂いたような講座にせよ、ラストあたりに差し掛かったところで、いつも頭に浮かぶ大きなテーマだからです。とりわけ「個人主義」を媒介項にした場合の「漱石ー資本主義」は見事に連携してしまいます。「個人主義」と「資本主義」をさらに「プロテスタンティズム」で媒介させれば、この連携性はより強烈になるかもしれません。貨幣、貯蓄、勤勉‥。なお、〈漱石の孤独〉ですが、最近、何となく思うのは、漱石流(あるいは程度の)「孤独」は本場、西欧の「個人主義」では相場、なのではないかと。
「個人」という単位の明確性=隔絶性とでも言えば良いようなーーそれは翻せば「他者理解」というもののセンチメンタリズム抜きの厳しく乾いた厳粛性とも表裏のような気がしますが。この辺りは西欧流〈友愛のポリティクス〉をきちんと渉猟してからでなくては言えませんが。ただ、例えば映画監督、ゴダールの幇助を依頼しての安楽死という出来事。カソリックが厳禁したにも拘らず、自殺の一形態である安楽死選択に対して欧米各国が門戸を開け始め、対するに日本を含むアジア諸国にはそう早くは浸透しないーーこれこそが近代個人主義というものの冷ややかな厳しさの有無の問題ではないのか、など。
一方、恋愛(ロマンチックラブ)こそは、まさしく資本主義の産物ですね。これを見事に解析しているのが大澤真幸の『性愛と資本主義』ですが、恋愛と貨幣が封建制崩壊後の自由な流通と交換を象徴する2大現象でありながら、その決定的な差異が、永久に交換されながら流通していく貨幣に対して、恋愛には恋愛結婚願望に象徴されるような、いつかは特別で交換不可能な唯一の対象に巡り合うはずだという幻想が付与されている点にある、と述べています。
漱石文学における〈貨幣と恋愛〉を説明するためにあるような論考だと、常々、感服するところです。
小林くんのメールの最後の1行にあった以下の言は、まさしく漱石もどこかで気づいていたはずの恋愛幻想の一側面ーー功利と合理に満ちた近代の緩衝材でもありますね。
> 合理性で貫徹された社会に対抗する橋頭堡であり、同時に逃げ場所でもあるような。
>
漱石をめぐる一番の微妙さは、おおむね漱石、および漱石を論じることには点の甘い日本の近現代文学の研究者たちが、いったい、この漱石と資本主義の微妙な関係をどのように評価しているのか、という点ですが、誰も話を詰めないのは、研究者の資本主義に対するスタンスを決しかねない厄介な地点へ踏み入ることになるからでしょう。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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