2023年7月9日日曜日

「人間の条件」 ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫 (再掲)

近代の経済学の 根本にあるのは これと同一の 画一主義である。 つまり、 近代の経済学は、 人間は行動するのであって、 お互い同士 活動するのではないと 仮定している。 実際、 近代の経済学は 社会の勃興と時 を 同じくして誕生し、 その主要な 技術的道具である 統計学とともに、 すぐれて社会の科学と なった。 経済学は、 近代に至るまで、 倫理学と政治学の あまり重要でない 一部分であって、 人間は 他の分野と同様に、 経済行動の分野においても 活動するという 仮定にもとづいていた。 この経済学が 科学的性格を帯びるように なったのは、 ようやく 人間が社会的存在となり、 一致して一定の行動パターン に従い、 そのため、 規則を守らない 人たちが 非社会的あるいは 異常とみなされるように なってからである。 (65~66ページ) (中略) しかし、 多数を扱う場合に 統計学の法則が 完全に有効である以上、 人口が増大するごとに その有効性が増し、 それだけ 「逸脱」が 激減するのは 明らかである。 政治の次元でいうと、 このことは、 一定の政治体で 人口が殖えれば殖えるほど、 公的領域を構成する ものが、 政治的なるものよりは、 むしろ 社会的なるものに 次第に 変わってゆく ということである。 (66ページ) (中略) 行動主義と その「法則」は、 不幸にも、有効であり、 真実を含んでいる。 人びとが 多くなればなるほど、 彼らは いっそう行動するように思われ、 いっそう 非行動に耐えられなくなるように 思われるからである。 統計学の面でみれば、 このことは 偏差がなくなり、 標準化が進むことを意味する。 現実においては、 偉業は、 行動の波を防ぎとめる チャンスをますます失い、 出来事は、 その重要性、 つまり歴史的時間 を 明らかにする能力 を 失うだろう。 統計学的な 画一性は けっして無害の 科学的理想などではない。 社会は 型にはまった 日常生活の中に どっぷり浸って、 社会の存在 そのものに固有の 科学的外見と仲よく 共存しているが、 むしろ、 統計学的な画一性とは、 このような社会の 隠れもない政治的 理想なのである。 (67ページ) (中略) 大衆社会の出現とともに、 社会的なるものの 領域は、 数世紀の発展の後に、 大いに拡大された。 そして、今や、社会的領域は、 一定の共同体の成員をすべて、 平等に、かつ平等の力で、 抱擁し、統制するに至っている。 しかも、 社会は どんな環境のもとでも均一化する。 だから、 現代世界で平等が勝利したというのは、 社会が公的領域を征服し、 その結果、 区別と差異が 個人の私的問題になった という事実 を 政治的、法的に承認した ということにすぎない。 (64ページ) 「人間の条件」 ハンナ・アーレント  ちくま学芸文庫

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