円建てで国債発行して、
日銀が
円で買い取ってる
んだから、
いくら
国債発行しても
問題ない、って説、
松原隆一郎先生も、
半分賛成
半分反対と
仰ってた。
確かに、こんだけ
借金拵えまくって
一見特に
何も起こってないんだから、
どんどん
やればいい、
という言明は
正当にも見えるが、
松原先生も、これを
続けると
いつか
破綻する、とは
仰ってたね。
いいぞ、どんどんやれ!
で
やってると、
いつかは
破綻するらしい。
それが、ドルの場合
リーマンショックだったそうで。
円の限界が
どこらへんなのかも
わからないのに
突き進もうとする
国民的メンタリティーは
ヤバい。
でも
そうならざるを得ないよね。
いつかはそうなるよ。
政治家だって、
国民に負担を強いるより、
甘い飴
舐めさせるほうが
遥かに
簡単なんだから。
松原先生も、
信用だけで成り立ってる
通貨って
何なんだ?!と
仰ってた。
結局、現代の我々は
モンゴル帝国と
同じレベルなのかも知れない。
(以下 Google Bard より)
松原隆一郎先生は、円建てで国債発行して、日銀が円で買い取っているんだから、いくら国債発行しても問題ないという説について、半分賛成、半分反対と述べられています。確かに、日本はこれまで借金を積み重ねてきたにもかかわらず、特に大きな問題は起きていないように見えます。しかし、松原先生は、このまま借金を増やし続ければ、いつか破綻する可能性があると警告しています。リーマンショックも、アメリカが借金を増やし続けたことによる結果だと考えられます。円の限界がどこにあるのかは誰にもわかりませんが、国民はいつまでも甘い蜜を吸い続けることはできないでしょう。いつかは、借金を返済するために、苦しい思いをすることになるでしょう。松原先生は、信用だけで成り立っている通貨は危険だと警告しています。現代の日本は、モンゴル帝国と同じように、信用だけで成り立っている通貨に頼っているのかもしれません。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
コメント
コメントを投稿