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ホモソーシャルについて

少年愛でも有名なギリシャの男性間の同性愛については、もはや疑いのない定説ですね。 そこでは知を仲立ちとした愛の関係は男性市民間にしか成り立たず、男女の関係性は生殖にのみ仕えるーーもちろん、これは奴隷・女性に対する徹底的差別が大前提の話ですが、美しく描かれていることに間違いはなく。 ルージュモンの説は、確か、これが新プラトン主義を経て中世騎士道恋愛・宮廷恋愛へと、異性愛の関係性へと敷衍されてゆく、ということになっていたような‥。 それが近代の社会制度へ回収され、徹底的に地上化されてしまった姿が、現在の「(強制的)異性愛」ーー性愛の正しい姿を男女間にしか認めない、という、極めて偏向的であるにも拘わらず、つい先頃まで常識とされていた愛の姿ですね。 但し、現在、ジェンダー論の登場と相俟って、ルージュモンの精緻な愛の精神史には、実はこの徹底的に地上的で制度的な「恋愛結婚」に頂点を見る、現代の異性愛が、ホモソーシャル(男性間の絆)と表裏一体であることが告発されています。 つまり、「homo-social」が、個別個人間の愛のようでありながら、男性中心に構成されている近代社会を堅固に維持するための「社会的関係」そのものである以上、実は「異性婚」とは、女性を特定の男性に括り付け、男性間に女性をめぐる闘争が生じる危険性を忌避する装置として、ホモソーシャルを裏返したものである、と。 たぶん、こうして性愛をめぐる歴史をギリシャから現代まで辿り直してみると、それ自体が 「制度」でもある「ジェンダー」が消滅し、現在の「男ー女」「男ー男」「女ー女」の愛情関係に差異が認められなくなった時に、初めて純粋な「愛」が堂々、成立する、と言えるーーこれが現在時点の「模範回答」なのでしょうね。 ただ、文化の歴史とは恐ろしいもので、ある意味、理の当然でもあるのですが、近代小説が歌い上げてきた「ロマンチックラブ」、実は裏返せば「ホモソーシャル」の刷り込みの力は大きく、「社会」の要素が二人の間に葛藤や苦悩を引き起こしては、それがまた二人間の友情を鍛えあげ、濃密にしてゆく、といった「男の友情物語」に、ついつい美しさや感動を覚えてしまう自分がいます。ただ、どんどん自分より若くなってゆく女性の教え子たちや我が娘などの話を聞いていると、その美しさが内包している残酷さ、恐ろしさ、不気味さ等を私などより、ずっとリアルに生き生きと感じてはいるようで、感嘆したり興醒めしたりしながら、耳を傾けることもしばしばです。 このトピックはいつの世にも存在してきましたが、LGBT、つまるところは「多様性」が論議されている昨今の社会情勢からしても、ますます興味はつのり、目が離せないところです。

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