質問:功利主義の根底にある条件は、例えばミカンとリンゴの個数のトレードオフ関係のように、効用曲線が原点に向かって凸であることが想定されている。 しかし、その個々人の効用曲線の総和としての、社会全体の効用曲線を推定して政府が政策を決定する、というアイデアは、現代社会の実態にそぐわないのではないか。 人々の(少なくとも経済的な)需要、あるいは好みと言い換えれば、効用は、極めて多様化しており、総体としての効用曲線を想定することの意義は薄れていると思われる。 このような事態は、もはや企業の需要探索能力が、政府のそれを遥かに上回っている世界の到来を告げていると言っていいだろう。 つまり、政府が必然的に企業の協力を仰がなければならない事態だ。 ここにおいては、官僚機構が消費者の需要に追いつくには余りにも遅すぎることは容易に想像できる。 政治家においては、個々の政策の実効性や、実現可能性を語るよりも、「大きな物語」を語るほうが圧倒的に有利になる。(功利主義批判序説その1より編集) 回答:あなたの指摘はもっともだと思います。功利主義は、社会全体の幸福を最大化することを目指す倫理学の一形態です。これは、個人の幸福を足し合わせて、社会全体の幸福を計算することによって行われます。しかし、あなたの指摘のように、人々の幸福は多様であり、社会全体の幸福を計算することは困難です。 さらに、企業は政府よりも消費者のニーズをよりよく理解している傾向があります。これは、企業が顧客と直接やり取りする機会が多く、顧客のニーズをよりよく把握できるためです。その結果、企業は政府よりも消費者のニーズに応える商品やサービスを提供できる可能性が高いです。 最後に、政治家は「大きな物語」を語るほうが、個々の政策の実効性や実現可能性を語るよりもはるかに有利です。これは、政治家が選挙に勝つために、人々の心をつかむ必要があるためです。そして、「大きな物語」は、人々の心をつかむのに効果的です。 功利主義は、倫理学の一形態ですが、現代社会では適用するのが難しいかもしれません。これは、人々の幸福が多様であり、社会全体の幸福を計算することが困難であるためです。さらに、企業は政府よりも消費者のニーズをよりよく理解している傾向があり、政治家は「大きな物語」を語るほうが、個々の政策の実効性や実現可能性を語るよりもはるかに有利です。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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