2023年6月24日土曜日

ヨーロッパ史

日本の 歴史教育だと、 ヨーロッパ史を 大学受験のために 勉強するのに、 ソクラテスも アリストテレスも 名前だけ、 ホッブズやロックに至っては 政治・経済か倫理(?)に 丸投げ状態なので なかなか見えてこないですが、 一通り勉強すると、 ヨーロッパ世界の歴史というものが 自然と見えてきます。 ソクラテスの弟子がプラトンで、 プラトンの弟子がアリストテレスです。 プラトンやアリストテレスの教えが、 中世キリスト教の教義に 組み込まれていきます。 つまり、中世というのは、 アリストテレスの道徳観・自然観が 強力に浸透しており、 ローマ教皇の権威も、そこから来るわけです。 したがって、ルネッサンスというのは ある意味では アリストテレスの否定なわけです。 例えば、ピサの斜塔から 重さの異なる 鉄球を落として、同時に落ちるのが 当時の人々にとって 衝撃的だったのは、 アリストテレスが 重いもののほうが 早く落ちると (たぶん) 書いていたからです。 つまり、中世において 絶対の権威を誇った アリストテレスの考えが否定されたわけです。 それは とりもなおさず 中世キリスト教の否定でも あるわけです。 そうすると、政治の世界でも 先述した イギリスの例のように、 ローマ・カトリックの権威から 自由になる傾向が生まれると、 当然、 王様が偉い、ということになってきます。 それは、同時に 中央集権に傾くわけです。 なぜなら、 一国のなかでは 王様が一番偉いからです。 とはいえ、その王様の権威も キリスト教のバックアップがあるわけですが。 しかし、 王様が一番偉い、という ことになると、権力の歯止めが 効かず、王権が 暴走するので、 それに対する 歯止めの理論が生まれてきます。 それが ホッブズやジョン・ロックなどの 社会契約論などです。 そういう、権力の相互抑止という 発想が 生まれてくるところが ヨーロッパ史で 大事なところです。

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