世の中には、自分の頭で考える能力がなくて、 なんでも他人任せの人ってのがいるが、 そのうち、何から何までアレクサに訊いて、逐一行動するって人が、 大量発生しそうだよね。 自分の頭で考えるって、意外と難しいよね。 自分の頭で考えた結果、 人工知能に優る、とも限らないし。 自分の頭で考える、とはどういうことか、を自分の頭で考える、なんていうと、すでにもうメタの世界に入ってるし。 たださ、やっぱり自分の行動、言動に対して、最低限でも責任を負わせるってことは大事なんじゃないかな? 人工知能がそう言ったからその通りにしました、私の何が悪いんですか? なんて言われたら、社会が崩壊しかねない。 歴史に照らして見ても、政治的権利を放棄するのって、結局権力者に自分の自己決定権を丸投げするのと同じで、 無責任の共同体が出現するだけだよね。 前の参院選で、投票用紙を破って棄てた俺が言えた義理じゃないけど。 参政党が参院で1議席獲得して、何かとネット上で耳目を集めてるけど、 反ワクチンやら陰謀論やら、 物議を醸しそうなネタ満載だけど、 飽くまで主権者の主権を擁護する限りは、 存在を否定はしない。 しかし、陰謀論に走っちゃうと、 いつの間にか主権者の主権を放棄させてる結果になるってことは、 あり得る。 それは、ナチズムが、階層構造になっていて、上に行くほど、自分はより真実に近づいている、という錯覚、快感が、階層構造それ自体を補強している、というメカニズムが働いたのと同じ。 その結果、トップは誰もが知り得ない真実を知っているはずだから、トップの言うことに従えば間違いない、という理屈で、自らの政治的主権を放棄してしまう。 その兆候が見えたら、即、断固として抗議しなければならない。 安倍政権だって、そういう側面があるんじゃないか? 我々には窺い知れないが、きっと安倍さんには安倍さんなりの深謀遠慮があるはずだ、みたいな。 政治である以上、何でもかんでもガラス張りに出来るわけがないってところが、政治の難しさでもあるが。 不透明な世の中だからこそ、安易に陰謀論に流されず、丁寧に腑分けをしていく作業が求められる。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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