2023年4月16日日曜日

メモー社会学的考察

「人間にとって貧困とは何か」の 講義で、 現代人は 「見られているかもしれない不安」 と 「見られていないかもしれない不安」 が 入れ子構造に なっている と 論じられている。 確かに、 敢えて 些細な イタズラで 莫大な 賠償金その他の リスクを 冒してまで 世間の 耳目を集めたい、 という 昨今の 外食テロ 行為には、 『見られているかもしれない』 期待感と 『見られていないかもしれない』 不安感が ないまぜに なっており、 むしろ 手軽に 「見られたい」という 衝動に 駆られている ような 印象を受ける。 SNSで 世界中の 人と 繋がれる 可能性が 拓かれたが、 自分は こんなに 沢山の 人と 繋がりがある、 という 自己顕示 的な欲求の 消費も、 最近は 一抹な 不安感と ともに、 その 訴求力を 喪いつつあるように 見える。 つまり、 「見られている」 ことの 充足感よりも、 ”お互いを見ている関係性を持っている” という 連帯感を 顕示する 欲求を 消費しているのではないか。 誰もが スーパースターに なれる 可能性よりも、 自分が 直に アクセスできる、 限定された 間柄での 親密圏の 保持を 顕示する。 そんな、 グローバルに 「見られている」 ことの 充足感の 誇示と、 「閉じられている」 間柄での 強さを 顕示したい、 という まさに 「見られているかもしれない不安」 と 「見られていないかもしれない不安」 とが 入れ子構造に なっている、 という 指摘は、 説得力が ある。 そのような 関係性が 仮に 虚構だとしても、 騙すよりも 騙されている ほうが、 快適で 安定している、 という 側面は ないだろうか。 へずまりゅうや、 ガーシーなどが、 いくら 馬鹿げていても、 密かな 賞賛を 集めるのは、 彼らが 「常に見られている不安」に 耐えられる ”強者” だからではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

妄想卒論その7 (再掲)

「ウォール街を占拠せよ」 を 合言葉に 米国で 反格差のデモが広がったのは 2011年。 怒りが新興国に伝播し、 米国では 富の集中がさらに進んだ。 米国の 所得10%の人々が得た 所得は 21年に全体の46%に達した。 40年で11ポイント高まり、 ...