質問:中央銀行は民間に供給される通貨量をコントロールしながら物価の安定を実現させる、
とありますが、
アベノミクスの第一の矢である2%物価上昇目標では、
インフレを起こすことにより、デフレ脱却はもちろんのこと、
インフレによって財政再建を同時に目指すとしていますが、
これは「政策割り当ての原理」に反してはいないでしょうか?
あるいは、新古典派経済学では
「政策割り当ての原理」は成立しないのでしょうか?
回答: オランダの経済学者で1969年にノーベル経済学賞を受賞したティンバーゲンは、
「n個の政策目標を実現するためには、n個の政策手段が必要である」という有名な定理を唱えています。
すなわち、「政策割当の原理」です。
したがって、
「インフレ」と「財政再建」の2つの政策目標を実現するためには、
2つの政策手段が必要となります。
本来、中央銀行の政策目標は物価の安定ですが、
アベノミクスの第一の矢は2%の物価上昇が政策目標でした。
本来の金融政策の目標(物価の安定)と
異なるため黒田日銀総裁は
「異次元の金融政策」
という言葉を使ったのです。
このインフレ・ターゲットを掲げるシナリオは、
物価上昇によって企業利潤が増加すると法人税の増収、
また、それに伴った賃金の上昇による所得税の増収、
すなわち直接税の自然増収が財政再建に繋がるシナリオを描いていたのです。
このシナリオどおりに進めば、
もう一つの政策目標である「財政再建」の目標に繋がります。
ただ、経済成長なきインフレは国民の生活レベルを引き下げることになります。
したがって、アベノミクスの第二の矢である積極的な財政支出による経済成長が重要になってくるため
「財政再建」が先送りになってしまいます。
それゆえに、
「財政再建」の政策目標の一環として
消費税の引上げが考えられています。
このように、
「政策割当の原理」は成立しています。
https://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_2068465/
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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