まえ、面接授業で滋賀にいたとき、
たまたま
ハトさんが仕事で大阪にいて、
京都の
けっこういい店で、
メシご馳走してくれたんだけど、
本当に美味いものって、
食べるのゆっくりになるよね。
びっくりした。
超早食いの俺が、
こんなに食べるのが遅くなるなんて!
しかも、
大して食べてないのに、
お腹いっぱいになっちゃうの。
2度びっくりした。
そのあと京都でラーメン食べようって
誘われたけど、
断った。
ごちそうさまでした。
育ちのいい政治家、
安倍とか麻生とか。
アイツラいいもんばっか
食べてっから
体型もスマートなんじゃないか?
って、勘繰りたくなる。
それにしても、
俺には京都という街は大きすぎる。
どこがどうなってんのかサッパリわからん。
津和野のほうがいい。
それにしても、
ハトさんは
適当に地図を見ながら、
なんの迷いもなくズンズン突き進んでいって、
目的の料理屋のみならず、
閑散とした
夜の京都の観光名所を、
容赦なくガイドしてくれて、
まあ、ぶっちゃけ
院生の時バイトで
はとバスのガイドやってたから
ネットの上ではハトさんと書いてるだけだけど、
ああいう、
知らない街だろうがなんだろうが
ガンガン突き進む能力は、
見倣いたいところだけど、
俺には一生無理なことは十分わかっている。
メタさんにしても、
難関国家試験を突破する能力それ自体が凄いだけでなく、
英語が特別できるわけでもないのに、
家族を連れて
渡米して
もう何年もアメリカで仕事してるんだから、
それも
俺には真似できない。
俺なんて、
コツコツやる能力はあると思うけど、
ほんとにただランダムウォークしてるだけで、
放送大学にたどり着かなかったら、
なんの結果も残せなかったし、
今でも全くカネ稼げない
微塵もバイタリティーのない
凡人以下の
行きあたりばったりの
凡人でしかない。
英語こんだけ勉強して、
英語圏行ったことすらないし、
それ以前に、20年前に
これもハトさんに連れられて
韓国に
1泊2日の海外旅行しかしたことない。
しかも、
その帰りに
関釜フェリーのなかで、
山陰本線に乗って帰りたいという俺に、
ハトさんが時刻表を手渡してくれたんだけど、
読み方が全くわからず、
キレられた。
でも、
小郡(現新山口)から
特急に乗れば、
サンライズで帰れると教えてくれて、
その上、
サンライズが岡山で停車しているときに、
ホームで出迎えてくれた。
俺は高校からだから逆に武蔵入れたけど、
中学からは無理だっただろうな。
今から思えば、
こういう人たちが
武蔵中に受かるのか、
俺には無理だ、と実感するもん。
サニチにいた時は、ほんとに自惚れた
お山の大将だったけど、
ほんとに
圧倒的に自分は何も出来ない、
と思い知らされないと、
努力なんかしないし、
そうでなければ
個性なんて語る資格はない。
そんなものは、ただほったらかしにしてれば
自然に発露されるという類いのものではない。
俺はといえば、
彼らを名前で呼び捨てにしたり、
無論のこと、
陰口を叩いたりしたことは、
一度もないと断言できる、
という
律儀さだけが取り柄。
と言っても、それは
いつまで経っても外様意識が抜けない
裏返しでもあるのだが。
最近ようやくそうでもなくなってきたけど。
20代半ばから
10年くらい、
ひたすら
働け!と、
ありとあらゆる角度から
メタル責めされたけど、
彼らはどんな時でも誠実で、
屁理屈を弄んで
俺を馬鹿にする、
ということはなかった。
そこは慶応の連中とは
根本的に違う。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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