2022年10月31日月曜日

メモ (再掲)

理性とはもともとイデオロギー的なものなのだ、 とアドルノは主張する。 「社会全体が体系化され、 諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど、 それだけ人間そのものが 精神のおかげで創造的なものの属性である 絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、 慰めをもとめるようになるのである。」 言いかえれば、観念論者たちのメタ主観は、 マルクス主義的ヒューマニズムの説く 来たるべき集合的主観なるものの先取りとしてよりもむしろ、 管理された世界のもつ 全体化する力の原像と解されるべきなのである。(「アドルノ」岩波現代文庫 98ページ)

1 件のコメント:

  1. 「管理された世界のもつ全体化する力」というフレーズに注目すると、アドルノは、理性的に管理された社会が、避けがたく全体主義への道へと誘われている、と考えていたようですね。そういう社会の中においては、個人は避けがたく疎外されており、かえって理性とは逆の方向性に、救いを求めるようになる。卓見だと思います。

    返信削除

曽根崎心中 (再掲)

愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、 源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、 日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、 男が女郎をカネで身受けしようとするが、...