群馬テレビで
YAPPY CONSCIENCE
のトップが法話してた。
字幕付きで。
法話っていうより、
生活の役に立つ
落語って感じだったね。
確かに
これなら
敷居は低そうだ。
森進一みたいな声。
あと、
ひろゆき氏が
太田光の
旧統一教会擁護?発言
に関して、
なぜサンジャポが
訴えられないのか?
と問題提起したらしいが、
俺の拙い法律知識では、
民法上
損害賠償の責任が発生するのは、
誰かの損害を補償するためだ、
(つまり、誰かを罰するためではない)
と
放送大学の授業で聴いたが、
誰が誰を訴えるのかよくわからないが、
太田光の発言で、
誰がどう具体的に損害を被ったというのか?
ひろゆき氏自身が、
2ちゃんねるで
散々赤の他人の尊厳や名誉を傷つけるのを放置して、
事実
損害賠償責任から逃れているくせに、
何を言っているのか?
それは
ひろゆき氏自身が一番よくわかっているはずだが。
あと、
上述の法話で、
国の税収が過去最高だったって話をしてて、
自分の党の政策と絡めたいのかは知らんが、
国の統計が信用を失うってのは、
恐ろしいことだな、と実感した。
これだけでも、
安倍の罪は重い。
最低限テメーの国葬にいくらかかったのか
くらいは
ちゃんと詳らかにして欲しいものだ。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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