めぐり合わせもあるけど、
たぶん今が人生の黄金期なんだろうな。
今日、高崎市のサポートセンターの方が来てくれて、
お話をうかがったけど、
A型だのB型だの
作業所みたいなのがあるらしいが、
自分は割と
知的障害者の方とはそんなに違和感なく
付き合えそうだけど、
養護学校系を卒業?した方、まあざっくり言って
知能がそれほど発達していない、
と言ったら失礼だし偏見なんだろうけど、
クッソ頑張って東京の難関進学校でて、
2浪もして慶応入って、
9年間もいて卒業できず、
その後
大学生生活を通算15年も続けて
ようやく卒業して、
いま2回目の卒業を果たしたのに、
たどり着く先がそこっすか?!
と、正直言いたくなる。
精神障害者というだけで、
十把一絡げに、
そういうところでしか働けないのか?
まあ、
現実には
隠して働きゃいいだけで、
一応実質半年とはいえ塾講師やった経験もあるし、
社会が精神障害者にとって働けない仕組みになってるわけじゃないが、
なんかもう、ほんとに
そっからっすか?!
と言いたくなる。
まあでもね、
この世知辛いご時世で、
障害年金を始めとして
さまざまな特権を得てんだから、
それ相応なのかな、とは思うけど。
とはいえ、この俺の見方にも、
無意識に刷り込まれた偏見が入り込んでいるのだろう。
つまり、養護学校系の学校と、東京の難関進学校、という対比、
そこに浮かび上がるヒエラルキー構造、
そこでかつて勝者だった自分。
そして、
そもそもそのヒエラルキーに乗ることすらできない
サバルタンとしての
知的障害者、という存在設定。
もちろん、
そこには
知的障害者は無垢で心がキレイだ、だから、
イイ人の俺は彼らとは付き合える、という、捏造された神話の存在。
こうした、重層的な、偏見と、隠された優越意識が、透けて見える。
https://www.youtube.com/watch?v=75Qyszz3RSg
(メタリカのライブ。どんだけカロリー使ってんだよ。。。)
まあ、自分が見て見ぬ振りしてきた
自分自身の精神構造に気づけたのは良かった。
まずはこれが第一歩。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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