2022年9月21日水曜日

人間不信と金融 (再掲)

「華麗なる一族」は本当に勉強になる。 まだ途中だけど、 万俵鉄平は可哀想だな。 特殊鋼業界初の高炉建設の夢をたぎらせながら、 一本気な技術者として邁進しているのに、 父親が頭取である 阪神銀行からの融資を渋られたり、 たぶん陰で嫌がらせされている。 それは、一重に、  鉄平が自分の実の子ではなく、 父親が妊ませた子なのではないか、 という不信感から来る。 人間、なんで他人にカネを貸すか?って言ったら、 相手が利子付けて還してくれるのはもちろんのこと、 根本的には、 カネを貸す相手を信用するからだよね。 カネを貸した瞬間に還って来るわけではない以上、 そこに不確定な時間上のズレが生じざるを得ない。 そこには当然、リスクが生まれる。 そのリスクが金利という形で現れるわけだが、 貸したカネが還ってくる可能性が低いほど、 金利が高くなる、 また、返済までの時間上のズレが長くなるほど、 金利が高くなる、 というのが道理だろう。 カネを借りるほうは借りるほうで、 あらん限りの知恵を絞って、綿密に事業計画を立て、返済計画を立てるだろう。 しかし、 どんなに良心的な借り手が、あらん限りの精緻さで事業計画を立てたところで、 未来の事象には、本来的に不確定性がつき纏う。 その分だけ、 リスク・プレミアムとして更に金利が高くもなるだろう。 しかし、 未来とは本来的に不確定なのだ。 直近の事例にしたって、 まさか安倍氏が突然あんな最期を遂げると誰が予測し得ただろうか? 日銀がいくら超金融緩和を継続し、 イールド・カーブ・コントロール政策を強行して、 金利の上で未来の不確定性のリスクを低くしたところで、 未来とはやはり不確定なのだ。 では、終極的になぜ人は他人にカネを貸すか?といえば、 結局は、 騙されてもいいからちょっとやらせてみるか。 という発想だろう。 それこそ井上俊が言ったように、 「詐欺が成り立ち得ないところでは、社会もまた成り立ち得ない」 のである。 人が騙されるということは、裏を返せば人を信じる能力があるということの証左である。 これも、井上俊が言ったことだ。 ちょっと、 今の日本の空気は、1億総人間不信なのではないか? 社会全体が他人に対して不信感で凝り固まっていたら、 日銀がいくら頑張ったところで、限界があるのは自明のことだ。 ちょっと騙されたな、ま、しょうがないか!というくらいの心積もりがなければ、 景気なんか良くなるはずがない。 https://www.sankeibiz.jp/business/news/190726/bse1907260650001-n1.htm

0 件のコメント:

コメントを投稿

曽根崎心中 (再掲)

愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、男が女郎をカネで身受けしようとするが、心中する、という悲...