2022年9月21日水曜日
日笠先生より(再掲)
メールありがとうございます。 議院内閣制は、議会と政府の共同活動を前提としています。しかし、政府・内閣が暴走する場合には、議会のコントロールに服するという「責任本質説」に基づき、内閣は連帯して議会に責任を負い、議会下院は内閣に不信任の決議をすることができます。 とはいえ、議会多数派である与党議員が、政府・内閣の意向に承認ないしは追従する限り、政府・内閣は、多数議員に体現される民意に基づき、政治をリードすることになります。政府・内閣が暴走しているとして政府・内閣を抑止することができるのは、主権者である国民であり、選挙という手続きに基づき行われます。 日常的には、テレビ・新聞などのマスメディア、世論調査、SNSなどによる言論表現活動において、政府・内閣の暴走を批判することができます。しかし、政府の意見は、「政府言論」として政府の自制がない限り、たとえアジテーションであっても広く国民に広がるのが現実です。 ここまでは、ご質問の前提です。では、アメリカとイギリス、そして日本の立ち位置について考えてみます。 日本国憲法は、確かに、GHQの考え方すなわちアメリカ法思想を前提にしていますが、マッカーサーは、日本が戦前も議院内閣制の政治制度を採用したことを前提に、新日本国憲法の構想にあたっても議院内閣制の採用をすすめており、憲法改正のための帝国議会でも、違和感なく採用されています。 では、ご質問にあるように、議院内閣制において、現実的な政府の暴走は阻止できないのかという点を考えてみたいと思います。イギリスやアメリカにおける民主主義の前提は、二大政党制であると思います。対立する野党が政府与党を抑制するシステムは、現実的には、「政権交代」が国民の選挙によって起きるという事実だと思います。政府与党が一番恐れるのは、政権からの陥落であり選挙における敗北です。イギリスやアメリカでは、現実に政権交代がありますので、政治は次の選挙に勝つためという戦略的な限界あるいは制約があります。これを意識することは、反対者へ配慮として、温和な政治展開を現実的に保障することになります。 もっとも、激しい感情の発露は、「民意」にあります。主権者たる国民の感情換言すれば投票行動は、刺激に敏感で現実的生活や嗜好に左右されがちです。「ポビュリズム」が、一般大衆の感情的表現として用いられ、ポビュリズムによる政治が危険視されるのは、そのことを指摘しています。国民の感情エネルギーである民意を理性的にコントロールしないと、政治自体が暴走します。この例として、イギリスやアメリがの現状を上げるのは妥当ではないかもしれませんが、イギリスがEUから離脱し、アメリカが自国第一主義へと進路をとったことは、国民の感情的エネルギーと言えるでしょう。 一方、日本は、国民の感情的エルネギーが、国民から主体的に発散されているというよりは、政治指導者の思想や政治的判断が、国民に提案され、国民がその政治提案をよく咀嚼する前に、現実的な体制づくりが民主主義という名の下で推し進められているという傾向がありのではないでしょうか。 今から反省するとすると、政権交代を行うために、政党本位・政策本位の選挙制度構築ビジョンのもと、中選挙区から小選挙区選挙へと移行したことが、現在の強すぎる政府与党を作り上げていると思います。日本国民は、表向きは権力を尊重し権力へおもねる傾向を持つ国民であり、他人と議論することは避け、人に同じことを考え行うことを通常の判断原則としているように見受けられます。そのよう傾向持つ国民が、二大政党制に本当に馴染むか、一時の情に流されることなく、考え続けるべきかもしれません。 というわけで、日本において、政府の暴走を阻止することは、政治部門関係では、非常に困難であって、議院内閣制の制度的構造的欠陥とはいえないと思います。要はいかなる制度であっても、使用方法が大切であるということだと思います。例えば包丁と同じで、本来の使用とは別に人を殺傷するときにも使用できます。議院内閣制に関する評価も、国民の使用方法に左右されることになります。 政治部門の抑止は、お話ししましたように、権力分立に基づき、裁判所の役割となります。違憲審査権を有する裁判所が、政治部門の判断ないし活動について、どのような憲法判断を行うか、これが重要な法的課題となります。しかし、現在はこの憲法を改正とようとしているわけですので、国民の叡智の真価を問われていると言える現状です。 ご満足のいく回答となっているかどうかわかりませんが、今の考え方を述べさせていただきました。 日笠完治
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