2022年7月26日火曜日
加藤くんと植松くん
2008年だっけ?
秋葉原で無差別殺傷した
加藤くんが
死刑執行されちゃったらしいね。
犯罪の量刑としては当然
なんだろうけど、
なんか哀れなやつだったな、という気もする。
39歳ってことだったから、
事件当時25歳とかそんなもんでしょ?
25歳で人生投げちゃったのかなー?
人生投げちゃうことと、
繁華街でリア充してる、かのように見える人を無差別殺傷することの
繋がりがイマイチ見えてこないんだけど、
俺は不幸だ!て思い込みすぎると、
リア充を皆殺しにしたくなるのかな?
よくわかんねーわ。
彼がもうこの世にはいないことを考えれば。
でも、なんかな、
我々も時としてそうだけど、
決めつけすぎは怖いと思うんだよね。
未来の、あるいは過去の不確定性をもっと受け入れないと、
必ずこうだ!
と決めつけ過ぎたら、
一旦人生投げちゃった人にとっては、
誰彼構わずリア充は殺してやる、なぜなら、俺の人生にはこの先なんもいいことないから!
て結論に至るのは、論理的にはある程度整合性があるんじゃないかな?
もっとさ、
社会が不確定性を受け入れて欲しいと思うのよ。
不景気だからこそ、安全牌を選びたくなるのは当然だと思うんだけど、
その傾向が強くなりすぎると、
一度失敗した人間には不幸な人生しか待ってない、
って風潮になっちゃうかもしれないけどさ、
社会に対して不満を述べたてたいなら、
今だったらYou Tubeとかあるし、
なんなら政見放送で
卑猥な発言したって、
逮捕されるわけでもないし、
あるいは、
ハードル高いけど、
ウーマン村本みたいに、
堂々と言いたいこと言う機会だって、無いわけじゃない。
あれは相当な度胸が必要だけどね。
相模原の施設で19人だっけ?
殺傷した植松くんにも言いたいけど、
なんか主張したいなら、
合法的にやればいいじゃん。
それこそネットで発信することだって出来たわけじゃん。
いかに公序良俗に違反するとしても。
自分が主張する手段として
人を殺すってのは、道理に合わない。
意思疎通の出来ない人は社会に有害だから殺すべきだ、というなら、
おそらく君が死刑になるのも、同じ理由(社会に有害だ)からではないのか?
有害にも色々な性質があるだろうが、君が社会にとって有害であるその性質が、意思疎通の出来ない障害者を生かしておくのが有害である性質よりも、より”マシ”だ、という根拠はなんだい?
戦争なんかになったら特にそうだろうが、
人間の心理的バイアスとして、
自国民の命と、敵国民の命との軽重を、
同等に扱える、というのはレアなケースではないか?
そういう意味では、
我々だって、植松くんと同じバイアスを抱えているわけだが。
だったらさ、
せめて同じ国に住んでる人間の命の軽重を、
そんなに簡単に決めつけなくたって、いいじゃないか。
つまり、加藤くんと植松くんに共通するのは、「決めつけ」であって、それは我々も同じだ、ということだ。
しかし、我々はなぜ、「決めつけ」てしまうのだろうか。
それは、そのほうが何かと都合がいいし、
宙ブラリんは気持ちが悪いからだ。
新型コロナにしても、
第1波や第2波の頃は、
何か得体の知れない人類史上最悪の病原菌がやってきた、という恐怖感に囚われていたが、
しばらくすると、
疫学的な知見や、
スペイン風邪の例を挙げて、
また、ワクチンが開発されたこともあり、
なんとなく安心しているが、
それは飽くまで事後的な一種の「こじつけ」であって、それをすることによって、
また決定論に安住してしまうのである。
東日本大震災における東電福島第一原発訴訟にしてもそうだが、
過去に遡って決定論を振り回すのは、狂気としか思えない。
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