https://kahoku.news/articles/20220627khn000018.html
消費税に逆進性があるのは事実かも知れないが、だから軽減税率導入したんじゃないの?
そら家計に負担なのはわかるけどさ。
母親が入院してるときに、スーパーで食料品買ったときに、ふとレシートみてびっくりしたけど、ほとんど消費税率8%じゃん。
それに、景気が後退したのは消費増税のせいだ、と書いてあるが、そもそも景気が落ち込む理由なんてそんなに簡単に特定できるもんなの?
コロナは関係ないの?
問題は消費税よりも、デジタル・トランスフォーメーションとか散々騒いでるのに、果たして本当に労働生産性が上がっているのか、あるいは、地方経済にテコ入れと言いながら、相変わらずバラまいているが、そのカネが有効に使われているのか?
そういったことを議論するべきではないのか?
ちょっともう昔の話になるが、安倍が国難突破などと言って、選挙民の歓心を買うために、消費税の増収分の使い道を変更してしまったが、先を見据えて支出を切り詰めている高齢者のための社会保障費の財源としてのカネと、何かとお金の掛かる子育て世帯のためのカネとでは、重みが違うのではないか?
そこを議論しないで、単純に消費増税性悪説を唱えるのは、天下の公器としてどうなのか?
もっとも、それ以前の話をまともに議論し、訴えることすらしない与党も野党も愚かで無責任なのだが。
もっとも、日米地位協定のような、国の根幹に関わることを国会で議論せずに行政協定で決めたり、安倍政権が乱発した閣議決定のように、そもそも国権の最高機関とわざわざ憲法に明記してある、国会の存在意義自体を骨抜きにしてきた、この国の政治の成れの果てという感があるが。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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