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アドルノはまだ生きている。(再掲)

グローバリゼーションによって、世界の富の大きさは拡大したが、分配に著しい偏りが生じたことは、論を俟たない。 日本においても、新自由主義的な政策の結果、正規、非正規の格差など、目に見えて格差が生じている。 そのような中で、経済的に恵まれない層は、ワーキングプアとも言われる状況のなかで、自らのアイデンティティーを脅かされる環境に置かれている。 エーリッヒ・フロムの論考を参考にして考えれば、旧来の中間層が、自分たちより下に見ていた貧困層と同じ境遇に置かれるのは屈辱であるし、生活も苦しくなってくると、ドイツの場合は、プロテスタンティズムのマゾ的心性が、ナチズムのサディスティックなプロパガンダとの親和性により、まるでサド=マゾ関係を結んだ結果、強力な全体主義社会が生まれた。 日本ではどうだろうか? 過剰な同調圧力が日本人の間には存在することは、ほぼ共通認識だが、それは、安倍のような強力なリーダーシップへの隷従や、そうでなければ、社会から強要される画一性への服従となって、負のエネルギーが現れる。 そこで追究されるのが、特に民族としての「本来性」という側面だ。 本来性という隠語は、現代生活の疎外を否定するというよりはむしろ、この疎外のいっそう狡猾な現われにほかならないのである。(「アドルノ」岩波現代文庫 73ページ) グローバリゼーションが後期資本主義における物象化という側面を持っているとすれば、グローバリゼーションによる均質化、画一化が進行するにつれ、反動として民族の本来性といった民族主義的、右翼的、排外主義的な傾向が現れるのは、日本に限ったことではないのかもしれない。 むしろ、アドルノの言明を素直に読めば、資本主義が高度に発展して、物象化が進み、疎外が深刻になるほど、本来性というものを追求するのは不可避の傾向だ、とさえ言える。 さらには、資本主義社会が浸透し、人間が、計量的理性の画一性にさらされるほど、人々は、自分と他人とは違う、というアイデンティティーを、理性を超えた領域に求めるようになる。 社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど、それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである。(「アドルノ」岩波現代文庫98ページ) 「それだけ人間そのものが精神のおかげで創造的なものの属性である絶対的支配なるものをともなった原理として高められることに、慰めをもとめるようになるのである」という言葉が何を表しているか。 自分の考えでは、「社会全体が体系化され、諸個人が事実上その関数に貶めれられるようになればなるほど」、(疑似)宗教のように、この世の全体を精神的な色彩で説明し、現実生活では一個の歯車でしかない自分が、それとは独立した精神世界のヒエラルキーに組み込まれ、そのヒエラルキーの階層を登っていくことに、救いを感じるようになる、という感じでしょうか。 まるでオウム真理教のようですね。

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夏目漱石とアドルノ:「それから」を題材に (再掲)

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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいないからです。国債 (10年物) の利回りは0.1%程度 (2018年11月現在) ですが、それが2.1%に上昇した場合、何が起こるでしょうか。政府の国債発行コストが跳ね上がるのはもちろんですが、より重要なことは、国債価格が暴落し、国債を大量に保有している銀行に莫大な評価損が出ることです。 経済の論点 旬報社 72ページより

据え膳食わぬは男の恥 (再掲)

20年前、 2003年の大晦日に 館林の 中学の同級生の家に 集まって、 もう 彼ら カラオケとかボーリングじゃ 飽き足りなくなってて、 車の免許も 持ってるから、 太田の 歓楽街に連れてかれて、 オッパブ行くことになって、 しょうがないから 付いてった。 今だに キャバクラすら 行ったことのない俺が。 出されたものは 丁寧に頂戴しないと、ということで、 丁重に いただいたら、 風邪ひいた。 そうだよね。 知らねーオッサンと 間接キスしてるのと 同じだもんね。 人間20年もあれば 成長するな。 他のやつは オッパブのあと ピンサロとか行ったみたいだったが、 俺は 勘弁してもらって、 屋台のドネルケバブ食ってたら、 連中とはぐれて ケータイも彼らの 車の車中に置いたまんまだったから、 しょーがねーから 太田駅まで行って、 始発で羽生帰ろうと思って コンビニで立ち読みして 時間潰してたら、 探しに来てくれた。 やっぱ 俺の考えることは 理解しているらしい。 もっとも、駅前にいなかったら それ以上 探さないとは言ってたが。 今じゃ みんな立派になったよ。 外科医とか物理学者とか消防隊員とか。 フラフラしてんのは 俺ぐらいだね。 でもまあ、中学の同級生と 年末に集まったのは それが 最後になっちゃったな。 (あれ、違ったかな? あんま覚えてない。) たぶん 会っても、話が噛み合わない。 共通の話題といったら 共通の知り合いの話ぐらいしか ネタがないし、 言うまでもなく 自分は 彼らとは 高校違うから。 彼らみんな理系だから、 ド文系の俺の話には 興味ないし、 俺も 理系の専門的な話は まったく わからない。